頼母子たのもし)” の例文
蘭軒は此年病の為に困窮に陥つて、蔵書をさへらなくてはならぬ程であつた。そこで知友が胥謀あひはかつて、頼母子たのもし講様の社を結んで救つた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
むりして、ふとん頼母子たのもしをおとしたにちがいない。きっとそうだ。客ぶとんを作りたいといっていた母の、それが唯一の希望だったのに……。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
物々交換の状態から貨幣経済に次第に進み、貸借の関係は複雑になって、頼母子たのもしのごときものも発達する。商工業がまた次第に発達し、交通も頻繁となる。
地面は元のまま持ち続けていたのだし、毀れかかった旧屋は二束三文だろうし、結局どうも中産階級の金融方法であった頼母子たのもしに頼ったのではなかったかと想像している。
故郷七十年 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
二十五年前、「商売の失敗野原の信吉さんのことで」三千円の頼母子たのもし。年百二十円の掛金、元は去る七月十一日に全部すむ。抵当として野原の家屋敷、島田の家が入っていた。
これはまた学問をしなそうな兄哥あにいが、二七講の景気づけに、縁日のは縁起を祝って、御堂一室処ひとまどころで、三宝を据えて、頼母子たのもしを営む、……世話方で居残ると……お燈明の消々きえぎえ
菎蒻本 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
所が福澤の頼母子たのもし大阪屋おおさかや五郎兵衛ごろうべえと云う廻船屋かいせんやが一口二朱を掛棄にしたそうです。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
小さい頼母子たのもしを結んでそれをもとでに始めたのが米と酒を売る店であった。仕事場を改造してだだっぴろい店ができた。米俵こめだわら酒樽さかだるが景気よく並び、皆を豊かな気持にさせた。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)