雅楽うた)” の例文
彼は殆んどその反対党——少くも彼が門人の反対党——長井雅楽うたが主唱したる公武合体論の先鞭を着けたるものなるなからんや。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
老中がたは酒井(雅楽うた)侯、稲葉(美濃みの)侯、阿部(豊後ぶんご)侯。またお側衆そばしゅう久世くぜ大和やまと)侯であった。
前田雅楽うたは兵二小隊をひきゐて廓に入り、兵器軍糧の授受に任じた。砲二十門、銃千六百挺、米五百俵である。将卒の降るもの千余人であつた。武揚は天保七年八月二十五日に生れた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
近衛このえ殿老女村岡、御蔵おくら小舎人こどねり山科やましな出雲、三条殿家来丹羽豊前ぶぜん、一条殿家来若松もく、久我殿家来春日讃岐さぬき、三条殿家来森寺困幡いなば、一条殿家来入江雅楽うた、大覚寺門跡もんぜき六物ろくぶつ空万くうまん、三条殿家来富田織部。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)