金吾きんご)” の例文
安はもと宗右衛門の恋女房である。天保五年三月に、当時阿部家に仕えて金吾きんごと呼ばれていた、まだ二十歳の安が、宿にさがって堺町さかいちょうの中村座へ芝居をに往った。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「そんなこと、誰が武やんのせいにするものか。いくさだ、こうなる運だ、何もかも滅茶くそだ、しいて、人のせいにするなら、裏切者の金吾きんご中納言秀秋が、おれは憎い」
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
伽「そうか……アヽ少し酒を飲みすごして…山田今日は帰ろう、金吾きんごも帰ろうかな」
隆景は筑前の名島なじまに住んでいて、世に名島殿と呼ばれて尊敬されていたが、彼は慶長二年に世を去って、養子の金吾きんご中納言秀秋の代になると、間もなく慶長五年の関ヶ原の戦いが始まって
馬妖記 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
後に抽斎の四人目の妻となるべき山内氏五百いおの姉は、阿部家の奥に仕えて、名を金吾きんごと呼ばれ、枳園をもっていたが、事件のおこる三、四年ぜんに暇を取ったので
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
その頃抽斎の四人目の妻五百いおの姉が、正寧のしつ鍋島氏なべしまうじの女小姓を勤めて金吾きんごと呼ばれていた。この金吾の話に、蘭軒はあしなえであったので、館内かんないれんに乗ることを許されていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)