遺子いし)” の例文
「富士の人穴ひとあなで、二千の軍兵ぐんぴょうをかかえながら、勝頼かつより遺子いし武田伊那丸たけだいなまるに追いまくられて、こんどはわしへとりいる気だな」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ながいあいだ、なにかにつけてじぶんの前途ぜんとをさまたげていた勝家かついえ自害じがいし、かれと策応さくおうしていた信長のぶなが遺子いし神戸信孝かんべのぶたか勇猛ゆうもう佐久間盛政さくまもりまさ毛受勝介めんじゅかつすけ、みな討死うちじにしてしまった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
八郎という幼名を、秀吉から名をもらって、秀家と改め、加冠かかんしたのはついこのあいだである。秀吉はこの遺子いしたちをのこして死んだ直家の心を思いやって、わが子のように、日常左右においていた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)