蛭子ひるこ)” の例文
記録としては久米島にただ一つ、残り伝わっているオトヂキョの神話が、日本の神代史の蛭子ひるこの物語と似通にかよふしがあることは、伊波君もすでに注意せられている。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ハテ恵比寿麦酒ゑびすびーる会社長くわいしやちやうで、日本にほん御用達ごようたしおこりは、蛭子ひるこかみが始めて神武天皇じんむてんのうへ戦争の時弓矢ゆみやさけ兵糧ひやうろう差上さしあげたのが、御用ごようつとめたのが恵比須えびすかみであるからさ。
七福神詣 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
俗傳に依つても夷三郎が事代主神であることは三條の百太夫合祀の夷神社の例に依つても明かであるが、一方には之れを諾册二神の御子蛭子ひるこであるとする考も相當に廣く深いものがある。
鮭の卵か、兒豚の腹か、水子、蛭子ひるこを見るがよに、見るがよに
思ひ出:抒情小曲集 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
たとえば恵比須は脚がお悪いから、またつんぼだから出雲の集会には出られず、それで留守番をなされるなどという。脚の方は神代記じんだいき蛭子ひるこをこの神としての推測らしいが、その事がすでに根拠はない。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)