范蠡はんれい)” の例文
そのほか、范蠡はんれい子貢しこう白圭はっけいなどという人物は、いずれも産物を売買して利益をあげ、巨万の富をきずきあげたのであります。
これすなわち范蠡はんれいが美姫西施せいしを送って強猛な夫差ふさを亡ぼしたのと同じ計になるではありませんか
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
四三管仲くわんちゆう四四ここのたび諸侯をあはせて、身は四五倍臣やつこながら富貴は列国の君にまされり。四六范蠡はんれい四七子貢しこう四八白圭はつけいともがら四九たからひさぎ利をうて、巨万ここだくこがねみなす。
かくて越が積年の“会稽かいけいはじ”をすすぎえたのは、ひとえに勾践こうせんもとに、ただひとりの范蠡はんれいがあったによる——と、漢土の史書は日本にまで彼の名とその忠節とをつたえていた。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここに范蠡はんれいという越の忠臣があった。主君の囚われをかなしみ、苦心さんたん、身を塩魚売りにやつして、ついに呉城の禁獄へ忍びこみ、魚の腹に一片の密書をかくして獄へ投げて逃げた。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)