苗字帯刀みょうじたいとう)” の例文
旧字:苗字帶刀
石井三右衛門といえば、諸大名方に出入りする御金御用達、何万両という大身代を擁して、町人ながら苗字帯刀みょうじたいとうを許されている大商人です。
「泣いてるな。これ貴様も、苗字帯刀みょうじたいとう許されの家に生れた男ではないか、泣面なきづらかかずといさぎよく申し上げてしまえ」
大菩薩峠:08 白根山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
徳川家康の旧家保護主義はこれ等の家々をその土地の権威として苗字帯刀みょうじたいとうを許し、屋敷地は貢税を許された。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
兎に角参勤交代さんきんこうたいの折は大名方の御用を足す重要な機関でしたから、本陣は苗字帯刀みょうじたいとうを許され扶持ふちを賜わったもので、即ち政府の特別指定と奨励金の恩典に浴したものですから
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
さわの父は河見半左衛門かわみはんざえもんという。母の名はわか。さわの下に一つ違いの妹なかと、その三つ下に丈二という弟がいた。河見家は七代まえに苗字帯刀みょうじたいとうをゆるされ、代々七カ村の庄屋を勤めていた。
榎物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
奈良屋三郎兵衛は五十五六、江戸の大町人で、苗字帯刀みょうじたいとうを許されているというにしては、好々爺こうこうやという感じのする仁体でした。
葛原親王かつらはらしんのういらいの家柄と申すことでござりまする、それに権現様以前より苗字帯刀みょうじたいとうは御免、国主大名の系図にも劣らぬ家柄でござりまする故に、神尾家にとって釣合わぬ格式とは存じませぬ
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
簾外れんがいから糸脈いとみゃくを引くことなどがあり、町医ながら苗字帯刀みょうじたいとうを許され、御納戸町に門戸を張って、江戸三名医の一人と言われるほどの人物でした。
秤座役人は苗字帯刀みょうじたいとうを許され、僅少きんしょうながら幕府の手当を受け、相当の見識も持っておりますが、こうなると町方の御用聞にすがる外はありません。
苗字帯刀みょうじたいとうも許されている佐野屋正兵衛ですから、岡っ引の平次は対等の口をきけるわけもなかったのですが、相手の調子に少しの躊躇ちゅうちょがあると
石川良右衛門は苗字帯刀みょうじたいとうを許された大町人で、五十前後の立派な仁体じんてい、これは武家の出だということで、進退動作なんとなく節度にかなっております。
最近堀留ほりどめの穀物問屋で、諸藩の御金御用も勤め苗字帯刀みょうじたいとうまで許されている、大川屋孫三郎おおかわやまごさぶろうが、全然新しく建てて寄進することになり、材木まで用意して
先代は苗字帯刀みょうじたいとうを許されたほどの大百姓ですが、和助は養子で、早く女房に死に別れた上、なんの因果か子供運がなく、たった一人の男の子で、二十三になる清次郎というのを
苗字帯刀みょうじたいとうまで許されている嘉兵衛に対しては、岡っ引の平次も遠慮はありました。