自然法爾じねんほうに)” の例文
匍匐ほふくし、生殖し、吼哮する海獣の、修羅場しゅらじょうの、歓楽境の、本能次第の、無智の、また自然法爾じねんほうにの大群集である。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
法がしからしむる所にいればよいのである。これが「自然法爾じねんほうに」の教えである。そういう境地を仏徒は「にょ」といったのである。この「如」のみが不動不変なのである。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
仏教では「自然法爾じねんほうに」(自然そのままで持っている価値ねうち)といって天地間のあらゆる生物草木に至るまで、どれ一つとして仏性(尊い生命の種子)を備えておらぬものはない。
仏教人生読本 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
鶴見は鶴見で、『起信論』とは不即不離の態度を取って、むしろ妄心起動を自然法爾じねんほうにの力と観て、その業力ごうりきに、思想の経過から言えば最後の南無をささげようとしているのである。