紀伊守きいのかみ)” の例文
大尼君の孫で紀伊守きいのかみになっている人がこのころ上京していてたずねて来た。三十くらいできれいな風采ふうさいをし思い上がった顔つきをしていた。
源氏物語:55 手習 (新字新仮名) / 紫式部(著)
城主の勝入をはじめ、嫡男ちゃくなん紀伊守きいのかみむこ森武蔵守もりむさしのかみまで、一時に三名の柱が、長久手に戦死して、のこるは、若い三左衛門輝政てるまさと、まだ十五歳の長吉ながよしだけとなった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
紀伊守きいのかみとお言いになる人が世間話をしておいでになったうちに、私の身の上ではないかとほのかに記憶の呼び返されることがございました。
源氏物語:56 夢の浮橋 (新字新仮名) / 紫式部(著)
昔ほどではないがその後も右衛門佐うえもんのすけは家に属した男として源氏の庇護ひごを受けることになっていた。紀伊守きいのかみといった男も今はわずかな河内守かわちのかみであった。
源氏物語:16 関屋 (新字新仮名) / 紫式部(著)
そのうちに紀伊守きいのかみが任地へ立ったりして、残っているのは女の家族だけになったころのある日、夕方の物の見分けのまぎれやすい時間に、自身の車に源氏を同乗させて家へ来た。
源氏物語:03 空蝉 (新字新仮名) / 紫式部(著)
一行が逢坂おうさかの関を越えようとする日は、偶然にも源氏が石山寺へ願ほどきに参詣さんけいする日であった。京から以前紀伊守きいのかみであった息子むすこその他の人が迎えに来ていて源氏の石山もうでを告げた。
源氏物語:16 関屋 (新字新仮名) / 紫式部(著)
などと今の世間を多く知らぬ叔母おばを教えようとするように紀伊守きいのかみは言い続けた。
源氏物語:55 手習 (新字新仮名) / 紫式部(著)
紀伊守きいのかみで、家従の一人である男の家のことが上申される。
源氏物語:02 帚木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
紀伊守きいのかみは答えていた。
源氏物語:02 帚木 (新字新仮名) / 紫式部(著)