紀伊国きいのくに)” の例文
旧字:紀伊國
しかしそこから南の方へまわって、紀伊国きいのくに水門みなとまでおいでになりますと、お傷のいたみがいよいよ激しくなりました。命は
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
竹内市兵衛の子吉兵衛は小西行長に仕えて、紀伊国きいのくに太田の城を水攻めにしたときの功で、豊臣太閤に白練しろねりに朱の日の丸の陣羽織をもらった。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
早速、関白領であった、紀伊国きいのくに田中庄たなかのしょうを、八王子に寄付された。今日まで、法華経が八王子の社で絶えないのは、そのためだとも言われている。
迂老は幼にして貧、長じて医を学び、紀伊国きいのくに濱口梧陵翁はまぐちごりょうおうの愛護を受け、幸に一家を興すことを得たりといえども、僅に一家を維持し得たるのみにして、世の救済については一毫いちごうも貢献する所なし。
関牧塲創業記事 (新字新仮名) / 関寛(著)
皇后はその後、ある宴会えんかいをおもよおしになるについて、そのお酒をおつぎになる御綱柏みつながしわというかしわの葉をとりに、わざわざ紀伊国きいのくにまでお出かけになったことがありました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
大鷹おおたかはかしこまって、その鳥のあとをどこまでも追っかけて、紀伊国きいのくに播磨国はりまのくにへとくだって行き、そこから因幡いなば丹波たんば但馬たじまをかけまわった後、こんどは東の方へまわって、近江おうみから美濃みの
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)