知多ちた)” の例文
尾張おわり知多ちた半島などでこの遊びをネギゴトといい、それに使う木の棒をネギというのも、同じ念木ねんぎという語の地方音だったかも知れぬが
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
水野下野守信元みずのしもつけのかみのぶもとは、知多ちた郡の緒川おがわを領していて、これは織田幕下だが、血縁からいえば三河の松平元康の伯父にあたる者である。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
明治十四年の夏、当時名古屋鎮台につとめていた父に連れられて知多ちた郡の海岸の大野とかいうところへ「塩湯治しおとうじ」に行った。
海水浴 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
潮湯治しおとうじ(海水浴のこと)に名古屋から来る客は、たいてい汽車で半田はんだまで来て、半田から知多ちた半島西海岸の大野や新舞子まで人力車でゆられていったもので
おじいさんのランプ (新字新仮名) / 新美南吉(著)
陶器に赤絵あかえを施した焼物として名を広めました。しかしいつも絵に生気が乏しいのを残念に思います。その他知多ちた半島に常滑とこなめがあります。ごく薄く釉薬うわぐすりをかけた赤褐あかちゃけた焼物であります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
「年魚市潟潮干にけらし知多ちたの浦に朝ぐ舟も沖に寄る見ゆ」(巻七・一一六三)「可之布江かしふえに鶴鳴きわたる志珂しかの浦に沖つ白浪立ちし来らしも」(巻十五・三六五四)など類想の歌が多い。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
使を走らかし、尾張の方へ御座せよとたばかり給へば、城を出で、川舟にのりて、知多ちた宇津美うつみにおはせし也。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
山裾やますそから二、三町ほど、先へ眼をやると、黒末川くろすえがわの流れが帯のようにうねって、知多ちた半島の海へそそいでいる。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)