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泰時
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やすとき
ふりがな文庫
“
泰時
(
やすとき
)” の例文
水内郡
(
みのちごおり
)
荻原
(
おぎわら
)
に、伊藤
豊前守忠縄
(
ぶぜんのかみただつな
)
というものがあって、後堀河天皇の天福元年(四条天皇の元年で、北条
泰時
(
やすとき
)
執権の時)
魔法修行者
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
実朝
(
さねとも
)
の歌を多く取ったのは別として、
泰時
(
やすとき
)
・
重時
(
しげとき
)
・
政村
(
まさむら
)
などは関東の意を
汲
(
く
)
んだので、
蓮生坊宇都宮頼綱
(
れんしょうぼううつのみやよりつな
)
は
岳父
(
がくふ
)
だから、
信生法師
(
しんしょうほうし
)
は宇都宮の一族の上
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
ここは、よう旅人が迷うので、遠い以前、北条
泰時
(
やすとき
)
さまが、本野原の
野路
(
のじ
)
のかぎり、道しるべの柳を
私本太平記:02 婆娑羅帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
しかも
泰時
(
やすとき
)
、
時頼
(
ときより
)
等の傑出した人物が相継いで執権となり、鎌倉幕府の全盛時代を現出した。
二千六百年史抄
(新字旧仮名)
/
菊池寛
(著)
時頼や
泰時
(
やすとき
)
が、障子のツギ
貼
(
ば
)
りをしたり味噌をなめて、みずからの生活を節し、士風をいましめ、済民や水治の善政に心していた時代にくらべれば、あまりに
隔世
(
かくせい
)
の感がある。
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
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また、北条
泰時
(
やすとき
)
の善政時代や、
最明寺時頼
(
さいみょうじときより
)
の名君ぶりなどが、あたまの
髄
(
ずい
)
をなしていて
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
中興のひと北条
泰時
(
やすとき
)
の善政、
最明寺時頼
(
さいみょうじときより
)
の堅持、また、
元寇
(
げんこう
)
の国難にあたった
相模太郎
(
さがみたろう
)
時宗などの
名主
(
めいしゅ
)
も出て、とまれ、北条家七代の現執権高時の今にいたるまで、南北の六波羅探題以下、
評定衆
(
ひょうじょうしゅう
)
私本太平記:01 あしかが帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“泰時(
北条泰時
)”の解説
北条 泰時(ほうじょう やすとき)は、鎌倉時代前期の武将。鎌倉幕府第2代執権・北条義時の長男で、鎌倉幕府第3代執権(在職:貞応3年(1224年) - 仁治3年6月15日(1242年7月14日))。御成敗式目を制定した人物である。
(出典:Wikipedia)
泰
常用漢字
中学
部首:⽔
10画
時
常用漢字
小2
部首:⽇
10画
“泰時”で始まる語句
泰時公