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永平
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えいへい
こゝに
於て諸州燕に
降る者多く、
永平、
欒州また燕に帰す。
大寧の
都指揮卜万、
松亭関を
出で、
沙河に
駐まり、遵化を攻めんとす。兵十万と号し、
勢やゝ振う。
永平初年のことである。姓は
王、名は
恵進という僧があった。
燕王兵を起してより既に三年、
戦勝つと
雖も、得るところは
永平・
大寧・
保定にして、南軍出没して
已まず、得るもまた
棄つるに至ること多く、死傷
少からず。
永楽元年には、
韃靼の兵、
遼東を犯し、
永平に
寇し、二年には
韃靼と
瓦剌(Oirats, 西部蒙古)との
相和せる為に、辺患無しと
雖も、三年には韃靼の
塞下を伺うあり。