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日下部
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くさかべ
ふりがな文庫
“
日下部
(
くさかべ
)” の例文
大きな
洋傘
(
こうもり
)
をさしかけて、坂の下の方から話し話しやって来たのは、子安、
日下部
(
くさかべ
)
の二人だった。塾の仲間は雨の中で一緒に成った。
岩石の間
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
「あれですかい。ありゃ、
日下部
(
くさかべ
)
の気ちがい旦那のお城だよ。宝物をぬすまれるのがこわいといってね、村ともつきあいをしねえかわり者ですよ。」
怪人二十面相
(新字新仮名)
/
江戸川乱歩
(著)
次にヲマタの王は
當麻
(
たぎま
)
の
勾
(
まがり
)
の君の祖先です。次にシブミの宿禰の王は佐佐の君の祖先です。次にサホ彦の王は
日下部
(
くさかべ
)
の連・甲斐の國の造の祖先です。
古事記:03 現代語訳 古事記
(旧字新仮名)
/
太安万侶
、
稗田阿礼
(著)
いよいよ
烈
(
はげ
)
しく
敲立
(
たたきた
)
つるに、玄関をがらりと開けて、執事の
日下部
(
くさかべ
)
、「門番の衆、門番の衆、開門。」と呼立つる。
貧民倶楽部
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
石和で腹をこしらえた米友は、
差出
(
さしで
)
の磯や
日下部
(
くさかべ
)
を通って
塩山
(
えんざん
)
の
宿
(
しゅく
)
へ入った時分に、日が暮れかかりました。
大菩薩峠:14 お銀様の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
▼ もっと見る
故
日下部
(
くさかべ
)
博士が昔ある学会で文明と地震との関係を論じたあの奇抜な所説を想い出させられた。
静岡地震被害見学記
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
「しおの山とは
塩山
(
えんざん
)
のこと、
差出
(
さしで
)
の磯はわたしの故郷八幡村から
日下部
(
くさかべ
)
へかかる笛吹川の岸にありまする」
大菩薩峠:02 鈴鹿山の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
その付近の人たちは、この建物を「
日下部
(
くさかべ
)
のお城」と呼んでいますが、むろんほんとうのお城ではありません。こんな小さな村にお城などあるはずはないのです。
怪人二十面相
(新字新仮名)
/
江戸川乱歩
(著)
それで
日下部
(
くさかべ
)
氏のいわゆる少なく読む、その少数の書物にどうしたらめぐり会えるか。
読書の今昔
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
塾では更に教室も建増したし、教員の手も
増
(
ふや
)
した。
日下部
(
くさかべ
)
といって塾のためには忠実な教員も出来たし、洋画家の泉も一週に一日か二日程ずつは
小県
(
ちいさがた
)
の自宅の方から通って来てくれる。
岩石の間
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
この
日下部
(
くさかべ
)
の山と
古事記:03 現代語訳 古事記
(旧字新仮名)
/
太安万侶
、
稗田阿礼
(著)
雲水どもは土地の百姓たちと力を併せて、濁流の岸へ
沈枠
(
しずめわく
)
を入れたり、
川倉
(
かわくら
)
を築いたり、火の出るような働きです。ここの手を切られると、水は忽ち
日下部
(
くさかべ
)
や
塩山
(
えんざん
)
一帯に溢れ出す。
大菩薩峠:17 黒業白業の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
日下部
(
くさかべ
)
君も私の
側
(
そば
)
へ来て、一所に窓の外を眺めて
突貫
(新字旧仮名)
/
島崎藤村
(著)
日
常用漢字
小1
部首:⽇
4画
下
常用漢字
小1
部首:⼀
3画
部
常用漢字
小3
部首:⾢
11画
“日下部”で始まる語句
日下部鳴鶴
日下部四郎太
日下部伊三次
日下部伊三治
日下部欽之丞