左賢王さけんおう)” の例文
ことに、裸馬らばを駆る技術に至ってははるかに陵をしのいでいるので、李陵はただしゃだけを教えることにした。左賢王さけんおうは、熱心な弟子となった。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
堅城壺関こかんも、その夜ついに陥落し、高幹は命からがら北狄ほくてきの境をこえて、えびす左賢王さけんおうを頼って行ったが、途中家来の者に刺し殺されてしまった。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
翌、太始たいし元年、且鞮侯そていこう単于ぜんうが死んで、陵と親しかった左賢王さけんおうが後をいだ。狐鹿姑ころくこ単于というのがこれである。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
連戦十余日。漢軍はついに退くのやむなきに至った。李陵りりょうに師事する若き左賢王さけんおうは、別に一隊を率いて東方に向かい因杅いんう将軍を迎えてさんざんにこれを破った。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)