山鹿素行やまがそこう)” の例文
何も山鹿素行やまがそこうや、四十七士や、水戸浪士を地下に起して、その小さくなったイブセンやトルストイに対抗させるには及ばないのです
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
中江藤樹なかえとうじゅ、熊沢蕃山、山鹿素行やまがそこう伊藤仁斎いとうじんさい、やや遅れて新井白石、荻生徂徠おぎゅうそらいなどの示しているところを見れば、それはむしろ非常に優秀である。
山鹿素行やまがそこう先生は、何と教えた。父長直ながなおは常に何と云った。慈母のおしえ、幼少から読んだあらゆる教典の文字。それらを、思い出すことが努力だった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それは山鹿素行やまがそこうの墓のある寺で、山門の手前に、旧幕時代の記念のように、古いえのきが一本立っているのが、私の書斎の北の縁から数多あまたの屋根を越してよく見えた。
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
有名な山鹿素行やまがそこうはまたわれらにこんな言葉をのこしています。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
「由井正雪、山鹿素行やまがそこう
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
疾くから調べていたのは、兵学家の素行そこう山鹿やまが先生でありました。そして、山鹿素行やまがそこうはその三孔のことを、講義の席でちょッと口を洩らしたがため、ついに幕府から罪を
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
山鹿素行やまがそこうの「武家事紀」などは、秀吉が毛利と和談し、山崎に光秀を討ち、清洲きよす会議に臨んだ時は、まだ決して、天下を奪う志はなかったものだと云い、ただ、信義の向うところ
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そういう時世の中にあって、浅野家だけは、ひっそりと、質素しっそであった。名儒、山鹿素行やまがそこうの感化も大いにあったし、藩祖以来の素朴な士風が、まだ、元禄のえた時風に同調していない。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曾つて、山鹿素行やまがそこうがその著書のうちに論じて、こういう大要が記してある。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれど山鹿素行やまがそこうの兵書によると
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)