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小手指
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こてさし
ふりがな文庫
“
小手指
(
こてさし
)” の例文
序戦、半日の矢戦では、新田軍はほとんど所持の
矢束
(
やたば
)
を
費
(
つか
)
いつくし、ぜひなく
小手指
(
こてさし
)
ヶ
原
(
はら
)
の北方へ、一時その陣を遠く退いた。
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
(同書。同郡
小手指
(
こてさし
)
村北野)
日本の伝説
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
このあいだに、
宗良
(
むねなが
)
親王の
大旆
(
たいはい
)
は、
碓氷
(
うすい
)
から武蔵の
小手指
(
こてさし
)
ヶ
原
(
はら
)
に着き、新田
義興
(
よしおき
)
(義貞の二男)と脇屋義治(義助の子)を両翼とし、ほとんど武蔵野を
風靡
(
ふうび
)
していた。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「太平記の中にある、元弘三年と正平七年の両度の合戦——新田義貞、義宗、義興などの一族と、
足利尊氏
(
あしかがたかうじ
)
の大軍とが、しのぎを
削
(
けず
)
り合うた
小手指
(
こてさし
)
ヶ
原
(
はら
)
というのは、この辺りだ」
宮本武蔵:07 二天の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
女影
(
おなかげ
)
ヶ
原
(
はら
)
では、岩松経家と渋川刑部の二大将が自害をとげ、
小手指
(
こてさし
)
ヶ
原
(
はら
)
では、今川
範満
(
のりみつ
)
が討死するし、かさねて府中における大激戦でも、小山秀朝と一族数百人、かばねを並べての
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
南朝の
御世
(
みよ
)
の頃、新田
武蔵守
(
むさしのかみ
)
が
小手指
(
こてさし
)
ヶ原の合戦から駈け渡って、
足利
(
あしかが
)
方の矢かぜを浴びたのもこの辺りだし——近くは、天正の頃、太田
道灌
(
どうかん
)
の一族だの、千葉氏の一党が、幾たびも興り
宮本武蔵:06 空の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“小手指(小手指町)”の解説
小手指町(こてさしちょう)は、埼玉県所沢市の町名。現行行政地名は小手指町一丁目から五丁目。郵便番号359-1141。
(出典:Wikipedia)
小
常用漢字
小1
部首:⼩
3画
手
常用漢字
小1
部首:⼿
4画
指
常用漢字
小3
部首:⼿
9画
“小手指”で始まる語句
小手指原