太政官だいじょうかん)” の例文
良正の上訴じょうそ文を携帯して、中央の府に訴え出で、太政官だいじょうかん下文くだしぶみを賜って、征伐いたすしかないと思いきめておりまする
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「大にの国是を定め、制度紀律を建つるは、御誓文を以て目的とす。」と、その冒頭に記載され、その第一条には、「天下の権力総て之を太政官だいじょうかんに帰す。」
イクバクモナクシテ都ニ入ル。坎坷かんか不遇。後ニ太政官だいじょうかんニ出仕シ、官ニアルコト十余年、明治庚寅こういん病ヲ以テほろブ。詩稿散佚さんいつシ流伝スルモノはなはまれナリ。余多方ニ捜羅そうらシ僅ニ数首ヲ得タリ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
人伝ひとづてに聞及びました所では、昨年の暮ちかく上皇様には、太政官だいじょうかんの図籍の類を諸寺に移させられましたよしでございますが、これも今では少々後の祭のような気もいたすことでございます。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
続日本紀しょくにほんぎをお読みになったことはありませんか、あの中の延暦えんりゃく十七年の条に、太政官だいじょうかんの法令として——
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
維新の後還俗げんぞくして名を神波桓、号を即山と称し東京に来って太政官だいじょうかんの小吏となり本郷竜岡町に住して詩書を教えた。明治二十四年一月二日没。享年六十歳。谷中三崎の天竜院に葬られた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
人伝ひとづてに聞及びました所では、昨年の暮ちかく上皇様には、太政官だいじょうかんの図籍の類を諸寺に移させられましたよしでございますが、これも今では少々後の祭のやうな気もいたすことでございます。
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
と、太政官だいじょうかんの答申にも、口を極めて、述べたてていた。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)