しゅく)” の例文
その代りに守戸しゅこというものが出来ました。これはもと良民で、所謂しゅくの名の由って起るところですが、これは改めて後に申し述べましょう。
よろい作りの工業家などもこれから出ているらしく、おそらくしゅく・エタの仲間となったものもまたその中にはあったらしい。
俗法師考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
特殊民の一部族にしゅくの者というのがあります。これはハチヤとか、茶筅ちゃせんとか、ささらとか、産所とかいう類のもので、比較的世間からいやがられませぬ。
摂津三島の宿河原しゅくがわら、紀伊の狩宿かりじゅくなどは、シュクの名のあるのを見れば、しゅくの族がいた所だと思われますが、これらが穢多になったのは、皮を扱っていた為と存じます。
むかしのエタやしゅく仲間の伝説にも、ある高貴の姫宮が悪疾の為に宮中にいることが出来ず、何の何某がお伴して僻遠の地に隠し奉るうちに、渡世に困って皮剥ぎを業とし
それが「しゅく」の元祖であるなどという。或いは自分らは野見宿禰の率いた土師部の子孫である。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
これをしゅくというのは、毎日つとに起きて市中に来たり、四季の花や果実やを売って歩いたので、市人がこれを弓削の夙人はやびとといった。これが今の夙人しゅくびとの始祖だとあるのである。
俗法師考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
しゅくの起原沿革は、別に「夙の者考」に述べておいたが、要するに夙ももとは御陵守の守戸しゅこで、初めは良民であったとしても、その職業上から賤まれて、エタとの間に賤しい程度に於いて
エタ源流考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
しゅくと云い、河原者と云い、その身分にも、取扱いにも、社会のこれに対する感情にも、それぞれ区別のあるものの如く解せられてはいたが、本をただせばそう区別のあったものでない事は
エタと非人と普通人 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
ある者が次第に深みに沈みいて、鉦打かねうち茶筅ちゃせんの徒はもとより、しゅくとか、鉢屋はちやとか、唱門師しょうもんじとか、犬神人いぬじにんとか、エタとか、番非人とか、その他各種の特殊民の源をなしたものと解せられるのである。
俗法師考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
11 エタとしゅくの者
エタ源流考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)