土師はじ)” の例文
その名称は彼らがもと三昧聖さんまいひじりの徒として、葬儀の事にあずかるところから、土師はじという古い称呼が用いられたものであったに相違ない。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
古陶器を扱う道具屋も土師はじ物をひさぐいちの店も、どの辺にあるかだいたい見当がついている。永藤朝春が写した真壺の図を持っている。
呂宋の壺 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
このほか、作家の土師はじ清二先生、『水之趣味』の青山浩氏、竿師の稲荷町東作氏三人のあいさつ、毎日新聞写真部同行という豪華版である。
江戸前の釣り (新字新仮名) / 三遊亭金馬(著)
つゝしんあんずるに、菅原すがはらの本姓は土師はじなりしが、土師はじ古人ふるひとといひしが、 光仁帝くわうにんていの御時、大和国菅原すがはらといふ所にすみたるゆゑに土師の姓を菅原に改らる。
これよりこの土師はじの里に鶏鳴かず、羽敲はばたきもせぬ由、『菅原伝授鑑すがわらでんじゅかがみ』に出で、天神様が嫌うとて今に鶏を飼わぬらしい(高木氏『日本伝説集』二一九頁)。
そこで、長谷川伸、平山蘆江、土師はじ清二、村松梢風、大佛次郎、吉川英治等が続々と新らしい大衆文芸を提供し、広汎な読者層が、之に応じ始めたのである。
大衆文芸作法 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
つゝしんあんずるに、菅原すがはらの本姓は土師はじなりしが、土師はじ古人ふるひとといひしが、 光仁帝くわうにんていの御時、大和国菅原すがはらといふ所にすみたるゆゑに土師の姓を菅原に改らる。
彼らは三昧聖さんまいひじりとして葬儀の事に預り、古代の土師はじの行った葬儀の職務を行った。これハチの名を得た所以であろう。
間人考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
土師はじうつわなる所謂弥生式土器には朱丹を塗ったものが多く、隼人や倭人が赭土を手や顔に塗ったというのも、景行天皇が豊前山間の土賊を誘い給わんとて
近畿地方では、俗にいわゆる番太或いは熅房おんぼうをハチと呼ぶところがあった。山陰地方に鉢屋はちやと呼ばれたものもやはりハチで、土師はじの義であると解せられる。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
そしてその「叩き」が一方ではハチであるが故に、ハチのタタキすなわち鉢叩きと呼ばれたものではあるまいか。ハチは土師はじである。シをチと訛ることは按察使をアゼチと訛ると同じ例である。
間人考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
祖先の土師はじ氏の時のままに、いつまでも葬儀を掌る家であったならば、いつの間にか夙の頭にされてしまったかもしれないのでありますが、早く転職した結果として、祖先以来の名家を辱しめず