園太暦えんたいりゃく)” の例文
かくばばあは古くは子取尼ことりあまなどともいって、実際京都の町にもあったことが、『園太暦えんたいりゃく』の文和二年三月二十六日の条に出ている。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「太平記」だけでなく、北畠親房の「神皇正統記」もそういっているし、洞院とういん公賢きんかたの「園太暦えんたいりゃく」も偽器としているのだから、これを何とも疑いようがない。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
園太暦えんたいりゃく、元弘日記裏書、建武三年記、どれもみな同日の事としているのをみれば、天皇には、「——尊氏、退く」と聞き給うやすぐ、叡山の行宮あんぐうをひきはらって
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして後醍醐もまた、たいへん、およろこびであったと「園太暦えんたいりゃく」は記している。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
事実、師直は、天龍寺落慶らっけいの翌年の夏、二ヵ月ほど寝こんで出仕しゅっしも欠いた。病名は“蚊触かぶれ”だとある。蚊触とはつまり発疹はっしんのことらしい。「園太暦えんたいりゃく」では瘡疾そうしつかかったのだと書いている。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)