右馬頭うまのかみ)” の例文
毛利右馬頭うまのかみ元就、正頼と一味し、当城へも加勢を入れ候。加勢の大将はそれがしなり、元就自身は、芸州神領おもてへ討出で、桜尾、銀山の古城を
厳島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
右馬頭うまのかみはその寮で道綱にお出合いなさると、話のついでにかならず撫子について同じような事を繰り返しお尋ねになるらしかった。
ほととぎす (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
毛利右馬頭うまのかみ殿にも、秀吉が存分の次第、御覚悟なされ候へば、日本の治、頼朝よりとも以来、いかでまさしるものあるべきや。よくよく御量見専用に候ふ。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今年の春おかくれになった式部卿しきぶきょうの宮の姫君を、継母ままははの夫人が愛しないで、自身の兄の右馬頭うまのかみで平凡な男が恋をしているのに
源氏物語:54 蜻蛉 (新字新仮名) / 紫式部(著)
この頃よく右馬頭うまのかみがそちらへ参るそうな。八月まで待たせなさいと言ってあるのに。人の噂によると、なんでもお前が右馬頭を
ほととぎす (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
将軍綱吉が、戌年いぬどし生れだったからである。また、綱吉の若年の名は、右馬頭うまのかみといっていたし、館林たてばやし侯から出て、将軍家を継いだ天和二年も、戌の年だった。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そんなに右馬頭うまのかみが熱心にいうのなら、八月頃にでも許してやると好い。それまで心変りせぬようだったら」
ほととぎす (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
さきの、堀河天皇は、非常な熱心家で、禁門の馬寮には、諸国の逸駿いつしゅんをつながせて楽しまれた。右馬頭うまのかみ左馬頭さまのかみらの配下は、このちょうに人員も増されたし、役柄やくがらも大いにふるった。
此頃或右馬頭うまのかみの息子がおりおり姉の許に通ってくる外には、屋形はいよいよ人けのなくなるばかりだった。
姨捨 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
ただ彼女の連れ子(前夫との一女子)は右馬頭うまのかみ公佐きんすけに嫁いでいたので、その女子だけは、良人と共に京都へ移り、時の一条能保よしやすと肩をならべて、かなり一ト頃は羽振りをふるった。