児小姓こごしょう)” の例文
十二歳のとき児小姓こごしょうに上って、数年は江戸国許ともに側勤めだったが、十六歳になると学問武芸を修業するためいったん御殿を下り、二十歳で再び召し出された。
日本婦道記:二十三年 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
京の西洞院にしのとういん侘住居わびずまいをしていた両親の手から今川家へ児小姓こごしょうに召し上げられたので、それ以来は、ただ主君や周囲からせられることを受動的に甘受していただけで
三浦右衛門の最後 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
そのとき忠利はふと腮髯あごひげの伸びているのに気がついて住持に剃刀かみそりはないかと言った。住持がたらいに水を取って、剃刀を添えて出した。忠利は機嫌きげんよく児小姓こごしょうに髯をらせながら、住持に言った。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
太田は祖父伝左衛門が加藤清正に仕えていた。忠広がほうを除かれたとき、伝左衛門とその子の源左衛門とが流浪るろうした。小十郎は源左衛門の二男で児小姓こごしょうに召し出された者である。百五十石取っていた。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
数馬は忠利の児小姓こごしょうを勤めて、島原征伐のとき殿様のそばにいた。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)