光厳こうごん)” の例文
あるいは、後醍醐の大覚寺統だいかくじとうの警戒の目がきびしく、後伏見、花園、光厳こうごんのどなたにも近づきまいらすことができずにいるのか。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
囚われの上皇光厳こうごん、光明。また崇光天皇は、南朝の廷臣らの詰問に、こう涙して弁疏べんそしたということである。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なにもご存知でないお若い天皇——光厳こうごんのみかどのやすまれている炭やき小屋のほうへは——彼は横たわっても足を向けていなかった。心のうちでお詫びばかり思っていた。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「なにをいう。たとえ尊氏が光厳こうごん(持明院統の先帝)をそそのかして、そのような物を手に持とうと、すでに廃帝たる院の院宣などは反古ほごにひとしい。天に二つの日輪があろうや」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「お寝みですか。常磐さま。……ぜひ、まいちど起きて下さいまし。光厳こうごんです」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこの一かくには、三月十二日の合戦いらい、北条氏の奉ずる光厳こうごん天皇をはじめ、以下の公卿百官が、こぞって避難してきたため、大内の皇居はいまや、そのままここに移された恰好だった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
新院光厳こうごん御使みつかいより、ただいまわが足利党へ、天下平定の綸旨りんじがここでくだったぞ。——義貞一類の徒を誅伐して、世のため、忠誠をぬきんでよとの院宣だ。——そのしるしをここにかかげる。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尊氏にとっては、持明院統の光厳こうごん上皇こそ、かけがえのない御方である。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
幕府が新たに立てた持明院統の光厳こうごん天皇が御位につき給うまえに、後伏見ごふしみ、花園の二上皇の旨をうけた西園寺ノ大納言公宗きんむねがこれへのぞんで、後醍醐が笠置いらいかたく御所持の“三種ノ神器”を
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
光厳こうごん光明こうみょう崇光すこうの三上皇も、御幸みゆきしていらせられたので、一山には、守護の武士たちや、公卿くげたちも、おびただしい数にのぼり、賊軍の襲来に備える兵馬兵糧のしろはもとよりのこと、永い年月のうちには
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
本院の光厳こうごん上皇と、新院しんいん豊仁とよひととの、おふた方である。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
光厳こうごん。おい光厳」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)