“光厳”の読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
こうごん | 100.0% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
“光厳(光厳天皇)”の解説
光厳天皇(こうごんてんのう、光嚴天皇、1313年8月1日〈正和2年7月9日〉- 1364年8月5日〈貞治3年7月7日〉)は、日本の北朝初代天皇(在位:1331年10月22日〈元弘元年9月20日〉- 1333年7月7日〈正慶2年5月25日〉)。諱は量仁(かずひと)。
後伏見天皇(上皇)の第三皇子。母は左大臣西園寺公衡の娘で後伏見の女御の西園寺寧子(広義門院)。
後醍醐天皇によって廃位されたが、建武政権崩壊後に治天の君となって北朝を主導し、室町幕府との公武徳政や『風雅和歌集』の親撰などを行った。天龍寺や安国寺利生塔の建立にも関与している。正平一統が破綻した際は、南朝によって拉致された。
(出典:Wikipedia)
後伏見天皇(上皇)の第三皇子。母は左大臣西園寺公衡の娘で後伏見の女御の西園寺寧子(広義門院)。
後醍醐天皇によって廃位されたが、建武政権崩壊後に治天の君となって北朝を主導し、室町幕府との公武徳政や『風雅和歌集』の親撰などを行った。天龍寺や安国寺利生塔の建立にも関与している。正平一統が破綻した際は、南朝によって拉致された。
(出典:Wikipedia)