信寧のぶやす)” の例文
二月二十一日に阿部正倫まさともの未亡人津軽氏比佐子が六十一歳で、蘭軒の治を受けて卒した。比佐子の父は津軽越中守信寧のぶやすであつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
霊台院はかみに云つた如く、正倫の継室津軽信寧のぶやすぢよ、比左子である。十四年四月十二日、竹亭は七十九歳にして歿した。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
寛保二年に十五歳で、この登勢に入贅にゅうぜいしたのは、武蔵国むさしのくにおしの人竹内作左衛門たけのうちさくざえもんの子で、抽斎の祖父本皓ほんこうが即ちこれである。津軽家は越中守信寧のぶやすの世になっていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
抽斎は小字おさなな恒吉つねきちといった。故越中守信寧のぶやすの夫人真寿院しんじゅいんがこの子を愛して、当歳の時から五歳になった頃まで、ほとんど日ごとに召し寄せて、そば嬉戯きぎするのを見てたのしんだそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)