交声曲カンタータ)” の例文
パラスの婚礼という交声曲カンタータ——多くの費用をかけ豪華版として刊行され、彼の愚鈍さを長く後世に伝えるものだった。
一八三〇年幸い交声曲カンタータ「サルダナパール」がローマ賞を、三年間ローマに遊学する幸運をつかんだが、ここでもベルリオーズは辛抱が出来ず、とうとう二年足らずでパリに帰ってしまった。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
神を見たこの人も、クリストフの眼から見れば往々にして、面白くもない甘っぽい宗教があり、偽善的な陳腐ちんぷな様式があった。その交声曲カンタータのうちには、恋と信仰との憔悴しょうすいの曲調があった。
一八八三年師ギローの勧めでローマ賞に応じ、有名な交声曲カンタータ蕩児とうじ」が一等賞になった。当然の結果としてローマに遊学したが、これは気の毒なことににがい幻滅をめなければならなかった。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
「懐かしき神よ、われは何時死ぬべきか」という交声曲カンタータの第一合唱句が……。