下仁田しもにた)” の例文
下仁田しもにた街道から国境を越えて、信州の南佐久へ入った山崎譲と七兵衛は、筑摩川ちくまがわの沿岸をさかのぼって、南へ南へと走りつづけます。
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
病気以来肉も落ちせ、ずっと以前には信州の山の上から上州じょうしゅう下仁田しもにたまで日に二十里の道を歩いたこともあるすねとは自分ながら思われなかった。
(新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「てまえは、上州下仁田しもにたの、草薙くさなぎ家の家来でござる。草薙家の亡主天鬼様は、鐘巻かねまき自斎先生の甥御おいごでござった。——で、小次郎どのとは、御幼少から存じておるので」
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
倉賀野くらがのから下仁田しもにたをへて信州の八ヶ岳山麓へ通じる非常に古い街道。この街道筋には上州の一ノ宮や大きな古墳なぞが散在して、いかにも太古からの道という感が深い。
此時も八ヶ岳に登って南佐久に下り『修身節約』という小学校の読本で知った有名な孝子亀松が狼を退治した内山峠をえて、下仁田しもにたへ出ようかとも考えたのであるが
金峰山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
甲州街道の黒野田・北多摩郡の大岱おんたなどの類は数多く、怒田という字を宛ててもいるから、ヌタというのが普通だったらしいが上州の下仁田しもにただの伊豆の仁田にった四郎だのと
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
いえば、わしは上州下仁田しもにたの者で、伏見城の工事場で大勢の者に殺された草薙天鬼くさなぎてんき様の奉公人なのだ。——つまりあの武者修行に出ておられた草薙家の若党で、一ノ宮源八というのだが
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高崎での一戦の後、上州下仁田しもにたまで動いたころの水戸浪士はほとんど敵らしい敵を見出さなかった。高崎勢は同所の橋を破壊し、五十人ばかりの警固の組で銃を遠矢に打ち掛けたまでであった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)