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万朝報
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よろずちょうほう
ふりがな文庫
“
万朝報
(
よろずちょうほう
)” の例文
旧字:
萬朝報
今より十四、五年前、東京本所に
怪火
(
かいか
)
を現出せしことがあり、その当時の諸新聞にも掲げてあった。今『
万朝報
(
よろずちょうほう
)
』の雑報の一節を抜粋せんに
おばけの正体
(新字新仮名)
/
井上円了
(著)
女史の遺著は小説、歌文、詩、脚本など沢山にあるなかに、『
晴小袖
(
はれこそで
)
』は短篇小説をあつめ、『露』は『
万朝報
(
よろずちょうほう
)
』に連載したのが単行本になりました。
大塚楠緒子
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
当時抱一は
万朝報
(
よろずちょうほう
)
社に在籍して
黒岩
(
くろいわ
)
の秘書のような関係であったが、読売新聞社から紅葉を朝報社へ引抜こうという献策をして、黒岩の内意を
承
(
う
)
けてその
斡旋方
(
あっせんかた
)
を私に持込んだ。
硯友社の勃興と道程:――尾崎紅葉――
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
黒岩涙香の名をきいて、いちばん先に思い出すのは彼が在命中の『
万朝報
(
よろずちょうほう
)
』である。
黒岩涙香のこと
(新字新仮名)
/
平林初之輔
(著)
懸賞小説といへばその以前より毎週『
万朝報
(
よろずちょうほう
)
』の募集せし短篇小説に余も二、三度味をしめたる事あり。選者は
松居松葉
(
まついしょうよう
)
子なりしともいひまた故人
斎藤緑雨
(
さいとうりょくう
)
なりしといふものもありき。
書かでもの記
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
▼ もっと見る
余が千歳村に引越した其夏、遊びに来た一学生をちと
没義道
(
もぎどう
)
に追払ったら、学生は立腹して
一
(
ひと
)
はがき五拾銭の通信料をもらわるゝ
万朝報
(
よろずちょうほう
)
の
文界
(
ぶんかい
)
短信
(
たんしん
)
欄
(
らん
)
に
福富
(
ふくとみ
)
源次郎
(
げんじろう
)
は発狂したと投書した。
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
高利貸
(
アイス
)
退治と新派劇の保護を
標榜
(
ひょうぼう
)
したのであったが、東京市の有力な新聞紙——たしか『
万朝報
(
よろずちょうほう
)
』であった——の大反対にあって非なる形勢となってしまった。
マダム貞奴
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
私はもし社会が『
万朝報
(
よろずちょうほう
)
』や『
二六
(
にろく
)
新聞』によって
矯正
(
きょうせい
)
されるならば、その矯正された社会は、矯正されざる社会よりも更に暗黒なものとなるのであろうという事を余りに心配している。
監獄署の裏
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
その一例として、先年の『
万朝報
(
よろずちょうほう
)
』雑報に見えたる一節を転載しよう。
おばけの正体
(新字新仮名)
/
井上円了
(著)
『
万朝報
(
よろずちょうほう
)
』の建立者で、ユーゴーの「ミゼラブル」や、その他「モンテ・クリスト」をはじめ、沢山の翻訳があって、ああしたものを、その頃の一般大衆にも読ませてくれた恩人だった。
田沢稲船
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
“万朝報(
萬朝報
)”の解説
『萬朝報』(よろずちょうほう)は、かつて存在した日本の日刊新聞。紙名は「よろず重宝」の洒落から来ている。万朝報と新字体で表記されることもある。
(出典:Wikipedia)
万
常用漢字
小2
部首:⼀
3画
朝
常用漢字
小2
部首:⽉
12画
報
常用漢字
小5
部首:⼟
12画
“万朝報”で始まる語句
万朝報社