“のぶしげ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
信茂55.6%
信寿11.1%
信成11.1%
信繁11.1%
信重11.1%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
この大きな一枚岩のような山、これが武田の勇将小山田備中守おやまだびっちゅうのかみが居城岩殿山いわとのさん、要害としても面白いが景色としても面白い。備中守信茂のぶしげはたしかこの城で二度の勇気を現わしているようだ。
この時は信政が宝永七年に卒したので、津軽家は土佐守信寿のぶしげの世になっていた。辰盛は享保きょうほう十四年九月十九日に致仕して、十七年に歿した。出羽守でわのかみ信著のぶあきの家をいだ翌年に歿したのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
留守となる清洲には、その本丸に内藤信成のぶしげを。二の丸に、三宅康貞やすさだ、大沢基宿、中安長安の諸将をとどめ、二十八日、旗鼓きこさわやかに、小牧山へ進出した。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
真田幸村の名前は、色々説あり、兄の信幸は「我弟実名は武田信玄の舎弟典厩てんきゅうと同じ名にてあざなも同じ」と云っているから信繁のぶしげと云ったことは、たしかである。
真田幸村 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
家弟信重のぶしげは此両三年行に検束なく、学業共に廃してゐた。然るに今春わたくしが茝庭先生の発会の日に当つて、飲酒量をえ、無用の言説を弄した。信重は霊枢を引いてわたくしを諫めてくれた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)