“なりまさ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
成政25.0%
斉政25.0%
成正12.5%
斉正12.5%
業政12.5%
済政12.5%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
やがて、長久手ながくての戦況が、秀吉方不利——と聞えてくるや、成政なりまさ
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
茶山は「四明先生告老、藩主加賜以金、燕喜之辰、余亦与会、賦此奉呈」として七律を作つた。其一二に「賜金不必買青山、心静城居即竹関」と云つてある。藩主は松平上総介斉政なりまさである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
近江おうみの中将入道蓮浄れんじょう俗名成正なりまさ法勝寺執行ほっしょうじのしゅぎょう俊寛僧都そうず山城守基兼やましろのかみもとかね式部大輔雅綱しきぶのたいふまさつな、平判官康頼、宗判官信房そうはんがんのぶふさ新平判官資行しんへいはんがんすけゆき摂津国せっつのくに源氏多田蔵人行綱ただのくらんどゆきつなといった連中で、他に北面の武士が多かった。
七月三日に松平薩摩守さつまのかみ斉彬なりあきら家来戸塚静海とつかせいかい、松平肥前守斉正なりまさ家来伊東玄朴いとうげんぼく、松平三河守慶倫よしとも家来遠田澄庵とおだちょうあん、松平駿河守勝道かつつね家来青木春岱しゅんたいに奥医師を命じ、二百俵三人扶持を給した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
箕輪はやはり上杉氏に属し、長野左衛門ながのさえもん大夫業政なりまさが城将としていた。
一人ならじ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
資通大弐だいに、この琵琶をくに調べ得ず、その父済政なりまさ、今日この琵琶ひがめり、弾くべからざる日だと言うた、経信白川院の御遊に、呂の遊の後律に調べるについに調べ得ず、古人のいう事