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ちうなごん
東下りの路すがら、
菊川の西岸に宿つて、末路の哀歌を障子に書きつけた
中御門中納言宗行卿もさうである。
指て
參られ候なりと申上るに
中納言綱條卿斯と御聞とり
遊し伊豆守同道とは何事ならんと御
待有けるに
間もなく兩人御館へ參られ伊豆守越前守同道
參上仕り御目見を
願ひ
奉つると取次を
左京太夫
頼淳と號して從四位
少將に任じて
家督とし
主税頭信房卿は是より本家
相續に
相成り紀州和歌山にて五十五萬五千石の
主とは
成玉へり
舍兄綱教卿は
忌服十二月
朔日に明け
翌二日從三位
中納言に任ぜられ給ひけり。