ぬす)” の例文
旧字:
市九郎がしばしの暇をぬすんで、托鉢の行脚に出かけようとすると、洞窟の出口に、思いがけなく一椀のときを見出すことが多くなった。
恩讐の彼方に (新字新仮名) / 菊池寛(著)
そこで昔かの邸で金皿をぬすみそれより身代を持ち返した仔細を告げ、代金と礼物を納められよと勧めたが取り合わず。汝は実に狂人だ。
とにかく六ヶ月ぜんから巧みに変装して、ジエルミノーの書記に住み込み、あの方の死ぬ前の晩、金庫を破壊してぬすみ取ったのです。
水晶の栓 (新字新仮名) / モーリス・ルブラン(著)
康子が清三の顔をぬすむようにして云った、清三は黙って座を立った、清三が外套がいとうを着て食堂を出ると、康子も一緒にいて来た。
須磨寺附近 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
いつの間にやらちゃんとぬすまれてて、れいれいしいに写真に出されましたのんで、取ったとしたらお梅どんより外にないさかい
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
如何どうかんがへても聖書バイブルよりは小説せうせつはう面白おもしろいにはちがひなく、教師けうしぬすんでは「よくッてよ」小説せうせつうつゝかすは此頃このごろ女生徒ぢよせいと気質かたぎなり。
為文学者経 (新字旧仮名) / 内田魯庵三文字屋金平(著)
と云って、如何に単純でたくらみがないとは云え、ぬすんだ物を台所に置きっ放しにして平気でいられようとは思われなかった。
窃む女 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
湿れた糸は自由に電気を通す。フランクリンは危険を忘れてその指で盛んな火花を出して、雷の秘密をぬすんだ歓びに夢中になつてゐました。
枕元の障子をすこしずつすこしずつ音を立てないように開けて廊下に出て、足音をぬすみ窃み渡殿わたりどの伝いに母屋おもやの様子を窺った。
笑う唖女 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
それ我に悪因を結べば善果来たり、我に善因を結べば悪果来たる。こうぬすむ者はちゅう、国を窃む者は侯、侯の門仁義存す。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
帝の同寓どうぐうするところの僧、帝の詩を見て、ついに建文帝なることを猜知すいちし、その詩をぬすみ、思恩しおん知州ちしゅう岑瑛しんえいのところに至り、われは建文皇帝なりという。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
柿江は自分をそこに見出すと、またぬすむようにきょときょととあたりを見廻した。人通りはまったく途絶えていた。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
シカモ大筋ニ臨ムニおよびテ私情ニかかハリ公義ヲ失フニ非ラザレバすなわち畏縮退避シテ活ヲ草間ニぬすムモノ往往ニシテアリ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
宮はこの散歩の間につとめて気をたひらげ、色ををさめて、ともかくも人目をのがれんと計れるなり。されどもこは酒をぬすみて酔はざらんと欲するにおなじかるべし。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
その半面よこがおを文三がぬすむが如く眺めれば、眼鼻口の美しさは常にかわッたこともないが、月の光を受けて些し蒼味をんだ瓜実顔うりざねがおにほつれ掛ッたいたずら髪
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
かかる深夜に人目をぬすみて他の門内に侵入するは賊の挙動ふるまいなり。われははからずも賊の挙動をしたるなりけり。
義血侠血 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
行脚僧か修験者か知らないが名のみ聞く武蔵坊弁慶とはこんな人かと想わせる風体に、主も少なからず驚いた様子であるし、私は恐れて片隅からぬすみ見ていた。
木曽駒と甲斐駒 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
雪をあざむくとか玉の肌とかいふのはこんなのを指すのであらうかと、まだ物心のつかぬ少年の私も、何となく一種眩しい思ひなしにぬすみ見ることも出来なかつた。
乳の匂ひ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
その弟子がぬすみ聴いてその咒をおぼえて、道士の留守をうかごうて鬼をんだ。鬼は現われて水をき始めた。
鴎外漁史とは誰ぞ (新字新仮名) / 森鴎外(著)
私が林檎樽で彼の話をぬすみ聞きしたことは彼は知らなかったのだが、それでも、この時分には、私は彼の残忍さと二枚舌と勢力とには非常に怖しくなっていたので
したがって家内いえ中ではれものにでも触るような態度を取り、そばを歩くに、足音さえもぬすむようになる。
良人教育十四種 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
其処には此方をぬすみ見するようにしている少女の眼があった。少女はあわてて往ってしまった。
竇氏 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
一日に二三枚はぬすんで来られた。いい板一枚に家持の小市民は十カペーキずつ呉れる。この仕事には仲のいい徒党があつまっていた。モルトヷ人の乞食の十歳になる息子のサーニカ。
一、古句を半分位ぬすみ用うるとも半分だけ新しくば苦しからず。時には古句中の好材料を取り来りて自家の用に供すべし。あるいは古句の調にして調子の変化をもさとるべし。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
孔子曰く、まことに子にして欲するなくんば、これを賞すといえどぬすまじ。しかれども魯ついに孔子を用うることあたわず。孔子もまた仕うることを求めず。(『孔子全集』、一九六一)
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
無分別にも不図ふと悪心を起し、おのれが預りの金子八十両をぬすみ出し、此方こなたへ出て見ると今の男が証拠に置いて行ったものか、かねて見覚えあるお梅の金巾着かねぎんちゃく其処そこほうり出してあった
闇夜の梅 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
男女ふたりぬすみ笑いをした。ジャンは注意していたので早くもそれを見て取った。そして彼は何か物をいいそうにしたが、そのまま黙って首をうな垂れて自分の持場の方へ歩いて行った。
麦畑 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
といふ挨拶を読むと、「ふふん」と鼻の上に皺を寄せて笑つたが、直ぐ気が付いたやうに、其処そこに手持不沙汰で坐つてゐる男をちらとぬすをして、今度はまた口許くちもとでにやつと笑つた。
「よし、思いついた。この春の雪の積んでいる時に、人間世界にどこに桃がある。ただ西王母せいおうぼはたけの中は、一年中草木がしぼまないから、もしかするとあるだろう。天上からぬすむがいいや。」
偸桃 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
縁側を過ぎながら、閉めきった障子の硝子ガラス越しに、茶の間の隣りの座敷内をぬすみ見た。盃を唇にあてているイエの姿が眼に入った。緊張しているのが感ぜられた。イエの傍にはイエの母もいた。
前途なお (新字新仮名) / 小山清(著)
彼は右へ曲ろうとするはずみに、ちらりと交番所のなかをぬすみ見した。
あめんちあ (新字新仮名) / 富ノ沢麟太郎(著)
東坡もとより牧之の詩をぬすむ者に非ず、然かもつひに是れ前人已に之をへるの句、何んすれぞ文潜之を愛するの深きや、豈に別におもふ所あるか。いささか之を記し以て識者をつ。(老学庵筆記、巻十)
母をぬすむ者の財布を盗むは何でもないと思ったのであろう。親分は是れ幸と巡査を頼んで巳代公を告訴し、巳代公を監獄に入れようとした。巳代公を入れるよりあの二人ふたりを入れろ、と村の者は罵った。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
あるは、木履きぐつき悩み、あるは徒跣はだしぬす
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
とにかく時をぬすんで本をお読みなさい。
人格の養成 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
(大正ママ年十二月六日起稿、大竜の長々しいやつを大多忙の暇をぬすんで書き続けママ年一日夜半成る)(大正五年三月、『太陽』二二ノ三)
つきゆきはなおろいぬんだとては一句いつくつくねこさかなぬすんだとては一杯いつぱいなにかにつけて途方とはうもなくうれしがる事おかめが甘酒あまざけふとおなじ。
為文学者経 (新字旧仮名) / 内田魯庵三文字屋金平(著)
軒下の暗がり伝いに足音をぬすみ窃み、台所の角に取付けた新しいコールタぬり雨樋あまどいをめぐって、裏手の風呂場と、納屋の物置の廂合ひさしあいの下に来た。
笑う唖女 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
私は犬飼現八と立ち廻りをしながら、ひまぬすんで、見物席の何時も貴女が、坐っていた辺りを見ますと、私の感じは私をあざむいてはおりませんでした。
ある恋の話 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
……柿江は思わずそれを考えている自分の顔つきが、森村という鏡に映ってでもいるように、素早くその顔をぬすみみた。しかし森村の顔は木彫きぼりのようだった。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
佐知子はぬすむように笑った、「フランスではもっともっとひどいのが平気で展覧会に陳列してありますよ」
正体 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ぬすみ出してから八日目に議院に夫を尋ねて参りまして、二十四時間以内に三万フランの金を出せ。出さなければあれを発表して社会から葬ってやると脅迫しました。
水晶の栓 (新字新仮名) / モーリス・ルブラン(著)
「分限紳士」というのは明かに普通の海賊のことに違いなく、(註五一)私のぬすみ聞きしたこの小場面は、実直な船員の一人が堕落させられる最後の一幕だったのだ。
さて此の首尾をまっとうした愛想話が客にどういう効果を与えたか老獪にちょっと此方こちらぬすみ視た。
ガルスワーシーの家 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
かえって月に一雞をぬすむの姑息こそく手段を行なわざるべからざらしめたるゆえんのものはなんぞや。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
其の話はお岩のさんの手伝に雇入れた小平こへいと云う小厮こものが民谷家の家伝のソウセイキと云う薬をぬすんで逃げたことであった。其の時屏風びょうぶの中から手が鳴った。宅悦は腰をあげた。
南北の東海道四谷怪談 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
その業務として行はざるべからざる残忍刻薄を自らふる痛苦は、く彼の痛苦と相剋あひこくして、そのかんいささおもひを遣るべき余地をぬすみ得るに慣れて、彼はやうやく忍ぶべからざるを忍びて為し
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
持って逃げても矢張やっぱぬすまれたうちへ戻って来るという、それが弘法さまの御利益ごりやく
おもて合すにはばかりたれば、ソと物の蔭になりつ。ことさらに隔りたればぬすみ聴かむよしもあらざれど、渠等かれら空駕籠は持て来たり、大方は家よりしてむかいきたりしものならむを、手を空しゅうして帰るべしや。
清心庵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
野にあるうちはどれだけ大食するか知れぬ至極の難物だが、このものの奇質は貯蓄のため食物を盗みまた自分の害になる係蹄わなぬすみ隠すのみか