奈落ならく)” の例文
われは邪魔扱じゃまあつかいにされて、まるで壁にへばりついているやもりを叩きおとすように、われ等の身体は奈落ならくへ投げおとされるのである。
にしろよわつたらしい。……舞臺ぶたい歸途かへりとして、いま隧道トンネルすのは、芝居しばゐ奈落ならくくゞるやうなものだ、いや、眞個まつたく奈落ならくだつた。
魔法罎 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
そして、しまいには、うすあおい、黄昏たそがれそらにはかなくえて、またひくきしなみおとにさらわれて、くら奈落ならくへとしずんでゆくのでした。
海のかなた (新字新仮名) / 小川未明(著)
舞台下の奈落ならくでは、一匹の野獣が麻酔剤に気を失った美しい女優を小脇こわきにかかえて、穴蔵の暗闇くらやみの世界を、気ちがいのように走っていた。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
しかし、加賀見忍剣かがみにんけんの身のまわりだけは、常闇とこやみだった。かれは、とんでもない奈落ならくのそこに落ちて、土龍もぐらのようにもがいていた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
クラクズーにグールメルにバベにモンパルナスという四人組みの悪漢が、一八三〇年から一八三五年まで、パリーの奈落ならくを支配していた。
荘田勝平が、一方の手紙を読んで、有頂天うちょうてんになったと同じに、直也は他の一方の手紙を読んで、奈落ならくに突落されたように思った。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
掻爬さうはが済んだあと、ゆき子は、からだ奈落ならくへおちこんだやうな気がした。ぐちやぐちやに崩れた血肉の魂が眼をかすめた時の、息苦しさを忘れなかつた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
一つの魂を救済することは一つの全生涯を破滅させても今は出来ない。奈落ならくだ、奈落だ、今はすべてが奈落なのだ。
鎮魂歌 (新字新仮名) / 原民喜(著)
私はやや失望の奈落ならくから救い上げられそうな気持になりかけながら、そうなるとまた一層不安な思いに襲われて何だかあの耳一つが気にかかってくる。
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
きのうまでの幸福感が、一瞬にして、奈落ならくのどん底にたたき込まれたような気がした。ケチな、ケチな小市民根性。
正義と微笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
申してよいやら、あなたとご一緒に参るなら鬼の住むいわやであろうとも奈落ならくの底であろうとも決していといは致しませぬ
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
すべて汝らのやからに属するものことごとく来たってわが呪いに名をしょせよ。わしは今わしの魂魄こんぱく永劫えいごうに汝らの手に渡すぞ。おゝ清盛よ。奈落ならくの底で待っているぞ。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
言いてて、部屋のなかに、ごろりと寝転んだ、碌さんの去ったあとに、圭さんは、黙然もくねんと、まゆげて、奈落ならくから半空に向って、真直まっすぐに立つ火の柱を見詰めていた。
二百十日 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
◯来世的光明の徐々として彼に臨みしは何にるか。これ彼に降りたるわざわい、禍のための痛苦、痛苦のきわみの絶望に因るのである。「来世の希望は奈落ならくふちに咲く花なり」
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
さればといって急いで歩き出すと、いまにも眼の前に泥田圃か肥料溜こえだめが、ぱかと口を開き、それにのめり落ちたが最後、奈落ならくの底までも沈み溺れそうな気がいたします。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
突然私は、奈落ならくの底に突き落されたような孤独さを感じた。私はしかし、瀬川はこうは言ったものの、実は何とか本気に考えてくれるものと思って、次ぎの言葉を待った。
これを聞いて、健吉くんは奈落ならくの底へ突き落とされたように驚きかつ悲しみました。きよ子さんの話によると、兄さんはそれ以後、まるで別人のようになったのだそうです。
愚人の毒 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
先頭に立った吾輩は振り顧見かえりみると、三番目に乗って来た未醒画伯、馬から真逆様に落ちて、大地へ四ツん這いになっておる。一歩外へ落とされたら、忽ち奈落ならくの谷底である。
わたしはあなたに警告しますが、あなたは今や奈落ならくのふちに足をのせて立っているのです。悪魔の爪は長い。そうして、かれらの墓はほんとうの墓ではない場合があります。
イエスを父に、マリアを母に、または如来を主に、菩薩ぼさつを親に、かくて浄土を憧れ奈落ならくを恐れた。真理を極めるのは僧の務めであり、それを信じるのは衆生の務めであった。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
同じ団体にはいってヘッベルの劇場の楽屋見学をしたときは、奈落ならくへ入り込んでモーターで廻わす廻り舞台を下から仰いだり、風の音を出す器械を操縦させてもらったりした。
ベルリン大学 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
ここで非道なものを弾劾だんがいしている言葉の重圧は、あらゆる道徳的懐疑からの、奈落ならくに対する共感からの転向を宣明し、いっさいを理解するのはいっさいをゆるすことだという
こうなればもう我々の家業は、うず潮に吸われた大船おおぶねも同様、まっさかさまに奈落ならくの底へ、落ちこむばかりなのでございます。するとある夜、——今でもこのの事は忘れません。
報恩記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
或は風のために無辺際の虚空に吹き散らされ、又は雨のために無間むげん奈落ならくに打落される。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
ごゝゝゝごうと奈落ならくの底へ沈むかと怪しまるゝばかり、風はいよ/\はげしく、雨さえまじりてザア/\/\ドドドウという音のすさまじさ、大抵の者なら気絶するくらいでございます。
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
鬼と見て我を御頼おたのみか、金輪こんりん奈落ならく其様そのような義は御免こうむると、心清き男の強く云うをお辰聞ながら、櫛を手にして見れば、ても美しくほりほったり、あつさわずか一分いちぶに足らず、幅はようやく二分ばか
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
船は一上一下、奈落ならくの底にしずむかと思えばまた九天にゆりあげられる、あらしはますますふきつのり、雷鳴らいめいすさまじくとどろいていなづまは雲をつんざくごとに毒蛇どくじゃの舌のごとくひらめく。
少年連盟 (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
物すごい不動から、奈落ならくの底までもとすさまじい勢いで波の背をすべり下った。
生まれいずる悩み (新字新仮名) / 有島武郎(著)
鳴鏑めいてきの如くとがりたる声ありて、奈落ならくに通ず、立つこと久しうして、我が五躰ごたいは、こと/″\く銀の鍼線しんせんを浴び、自らおどろくらく、水精しばらく人と仮幻かげんしたるにあらざるかと、げに呼吸器の外に人間の物
霧の不二、月の不二 (新字旧仮名) / 小島烏水(著)
黄泉國よもつぐに奈落ならく大城おほき、——
春鳥集 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
奈落ならくへかうつろする。
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
大雷雨だいらいう奈落ならくそこ
孔雀船 (旧字旧仮名) / 伊良子清白(著)
黒暗々の奈落ならく
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
彼の日月じつげつはまッ暗な虚空こくうと変り、グラと奈落ならくの口もとでかかとを踏まえるような思いだった。季房も背中合わせに大手をひろげ
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十七の奈落ならくのうちの最も恐るべきもので、吠陀ヴェダの中で剣葉林と呼ばれてるあのバラモン教の地獄のありさまも、かくやと思われるほどだった。
(間)日も奈落ならくへ沈んでしまった。この旅人は、再び沈んだ日の登るのを見ない。永遠にこの旅人は眠りから醒めない。
日没の幻影 (新字新仮名) / 小川未明(著)
これ船中せんちうはなしたがね、船頭せんどうはじめ——白癡たはけめ、をんなさそはれて、駈落かけおち眞似まねがしたいのか——で、ふねひとぐるみ、うして奈落ならくさかさま落込おちこんだんです。
印度更紗 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
ここかしこに、見物の通れぬ裏通りが出来ている。芝居の奈落ならくみたいな所、がらくた道具を積上げた物置様の箇所。
吸血鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
山なす怒濤どとうは、筏をいくどとなくひっくりかえそうとした。あるときは奈落ならくの底につきおとされた。次のしゅん間には、高く波頭の上につきあげられた。
恐竜島 (新字新仮名) / 海野十三(著)
うつ伏せにみぞに墜ちたものや、横むきにあおのけに、焼けただれた奈落ならくの底に、墜ちて来た奈落の深みに、それらは悲しげにみんな天を眺めているのだった。
鎮魂歌 (新字新仮名) / 原民喜(著)
私は、見られて、みんごとくそリアリズムになっちゃった。笑いごとじゃない。十万億土、奈落ならくの底まで私は落ちた。洗っても、洗っても、私は、断じて昔の私ではない。
八十八夜 (新字新仮名) / 太宰治(著)
水煙すいゑんぶ、逆浪さかなみ打込うちこむ、見上みあぐる舷門げんもんほとり、「ブルワーク」のほとり、士官しくわん水兵すいへいしきりにさけんで、艇尾ていび大尉たいゐラタくだけんばかりににぎめて、奈落ならくち、天空てんくう
もとより洪水こうずゐ飢饉ききんと日を同じうして論ずべきにあらねど、良心は不断の主権者にあらず、四肢しし必ずしも吾意思の欲する所に従はず、一朝の変俄然がぜんとして己霊の光輝を失して、奈落ならくに陥落し
人生 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
しかし成親殿はまるで何ものかにつかれているように頑固がんこだった。わしは力の限り抵抗したけれども、彼の欲望に征服されてしまった。彼の欲望は奈落ならくの底に根を持っているように強かった。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
ゆき子は、耳もとにざはつく、雨の音を、樹海のそよぎのやうに、聞いてゐたが、それが、窓硝子まどガラスに、霧をしぶいてゐる雨の音だと判ると、ゆき子は、がつかりして、奈落ならくへ落ちこむ気がした。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
有頂天になっていた彼の心持はたちま奈落ならくの底へまで、引きずり落された。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
奈落ならくに対して共感をこばみ、道ならぬものをだんがいしてきた、「みじめな男」の著者、おのれの知を克服こくふくして、あらゆる諷刺ふうし以上に生長しながら、大衆の信頼にともなう義務になれきっている
そうした里の合言葉さえあるのに、これはまた、どうしたうかつ者だろうか、ただ一人、道もない峰を、闇の奈落ならくへ下りてゆく男がいる。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
社会の奈落ならくにはい回ってるものは、もはや絶対なるものに対する痛切な要求の声ではなく、物質に対する反抗の念である。そこにおいて人はドラゴンとなる。