几帳きちょう)” の例文
東の住居すまいの西の対の玉鬘たまかずらの姫君は南の寝殿に来て、こちらの姫君に面会した。紫夫人も同じ所にいて几帳きちょうだけを隔てて玉鬘と話した。
源氏物語:23 初音 (新字新仮名) / 紫式部(著)
やがて、璋子は、皇太子顕仁を生んだが、御産殿おんうぶどの几帳きちょうからもれた呱々ここの声にも、天皇のおんまゆには何の御表情もなかったという。
四十年前の春の日に、几帳きちょうのかげで抱かれた時の記憶が、今歴々と蘇生よみがえって来、一瞬にして彼は自分が六七歳の幼童になった気がした。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
几帳きちょうの紐を取って欄間らんまにかけ、妻の遺物をふところにしたまま首を引っかけようとしたが、その時遅くの時早く、思いもかけぬ次のへやから
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
小野おの小町こまち几帳きちょうの陰に草紙そうしを読んでいる。そこへ突然黄泉よみ使つかいが現れる。黄泉の使は色の黒い若者。しかも耳はうさぎの耳である。
二人小町 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「お連れ致さずともお姫様ひいさまはすぐお殿様のお目の前においで遊ばすのでござります」島太夫はふるえながら手を上げて几帳きちょうかげを指差した。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
私はしょうことなくて几帳きちょうの方へ少しいざり寄っては見たものの、勿論、私の方から何も言い出すことはないので、そのまま無言でいた。
ほととぎす (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
書院というは名ばかり、几帳きちょう簾垂すだれ、脇息きょうそくしとね、目にうつるほどのものはみな忍びの茶屋のかくれ部屋と言ったなまめかしさなのです。
また女の作家がこういう態度で物を書けば、几帳きちょうを撤して女の真面目しんめんぼくを出すのですから、女の美も醜もく男の方に解る事になりましょう。
産屋物語 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
ゆかには塵が三センチほども積もっている。鼠が糞をしちらしたなかに、古い几帳きちょうを立てて、花のように美しい女が、ひとりですわっている。
むすめはおろおろしている壮い男の傍を通って、几帳きちょうの陰に隠れましたが、眼がえて物淋しくなりましたから、声をかけて壮い男を呼びました。
宇賀長者物語 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
二人はしばらくことばが途切れた。秋草を画いた几帳きちょうが昼の風に軽くゆれて、縁さきに置いてある美しい蒔絵まきえの虫籠できりぎりすがひと声鳴いた。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
朽木形の几帳きちょうの前には十二一重の御めし、何やら知らぬびらしゃらした御なりで端然たんねんとしていたまうから、野郎共皆ウヘーとなって恐入り奉る。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
几帳きちょうをかなぐって、世の中に飛出したものもなかったので、勢い明治初年から中頃までは、そうした階級の女の跳躍にまかせるより外はなかった。
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
顔に檜扇ひおうぎを当てた、一人の上﨟じょうろうが、丈なす髪を振り敷いて、几帳きちょうの奥にいる図が描かれてあって、それに感じた漠然ばくぜんとしたあこがれが、いまも横蔵の
紅毛傾城 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
几帳きちょうの蔭に悲しみの天女をやすませて、大納言は縁へでた。静かな月の光を仰いだ。はじめて彼は、この世に悲しみというもののあることを、沁々しみじみ知った思いがした。
紫大納言 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
家にいる時でも、他人が見えると几帳きちょうの蔭などに隠れたりする。外出の時は、被衣かつぎでもって面の見えないようにする。車に乗れば、簾で隠して人に見えないようにする。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
うちぎを着けた妻は、几帳きちょうの陰で長い黒髪を解いてにおわすであろうし、筒井にそういう高い生活をあたえればぐにも美しくなる、彼のそんな考えは妻を可憐とも美しいとも
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
それとても朧気おぼろげながら、彼処かしこなる本堂と、向って右のかたに唐戸一枚隔てたる夫人堂のおおいなる御廚子みずしうちに、あや几帳きちょうの蔭なりし、ひぎまずける幼きものには、すらすらと丈高う
一景話題 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
なおも日数を経て何ひとつお土産みやげ話もない申訳なさに、ある夕まぐれついこのお話を申上げましたところ、もはや夕闇にまぎれて御几帳きちょうのあたりはおぼろに沈んでおりますなかで
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
ともに立って来た家人けにんの一人が、大きな木の叉枝またぶりをへし折って来た。そうして、旅用意の巻帛まきぎぬを、幾垂れか、其場で之に結び下げた。其をゆかにつきさして、即座の竪帷たつばり几帳きちょう—は調った。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
本尊は等身大の坐像、黒々と時代の付いたのに、金襴きんらん袈裟けさを掛け、座布団の上に据えて、大厨子おおずしの中に納め、その前面は諸人の無遠慮な視線を避けるために、にしき几帳きちょうで隠してあったのです。
仏勤めはするのであるがまだ数珠じゅずは近い几帳きちょうさおに掛けられてあって、経を読んでいる様子は絵にもきたいばかりの姫君であった。
源氏物語:55 手習 (新字新仮名) / 紫式部(著)
ふすまや、几帳きちょうの蔭から、小さい燈火ともしびの光が、かばわれながらそこへ運ばれてきた。雨の打つ階梯きざはしの下に、曲者はねじ伏せられている。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
少女は昼はひねもす、夜は目のめているかぎり、ともし火を近くともして几帳きちょうのうちに打ち臥しながら、そればかりを読みつづけていた。
姨捨 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
几帳きちょうを横にし火桶を前にし、つれづれに眺めていた源氏絵巻を、ほぐしたままでかいやって、呉服はうっとりと考え込んだ。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
家の中では板の間や柱をつや/\と拭き込み、畳建具たてぐを新しく調とゝのえ、屏風びょうぶ几帳きちょうを動かして座敷の模様がえをする。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
切り燈台の火は、花のような丁字ちょうじをむすびながら、あかる螺鈿らでんの経机を照らしている。耳にはいるのは几帳きちょうの向うに横になっている和泉式部いずみしきぶの寝息であろう。
道祖問答 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
しかも、小べやのうちにはなまめいた几帳きちょうがあって、その陰からちらりと容易ならぬ品がのぞいているのです。
その時むすめわかい男は、几帳きちょうの陰でひそひそと話しておりました。切燈台きりとうだいは淋しそうにともっておりました。
宇賀長者物語 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
真夏の夕暮、室々のへだてのふすまは取りはらわれて、それぞれのところに御簾みす几帳きちょうめいた軽羅うすものらしてあるばかりで、日常つね居間いままで、広々と押開かれてあった。
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
なほも日数を経て何ひとつお土産みやげ話もない申訳なさに、ある夕まぐれついこのお話を申上げましたところ、もはや夕闇にまぎれて御几帳きちょうのあたりはおぼろに沈んでをりますなかで
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
ぐつすりと寝込んで居た、仙台の小淵こぶちの港で——しもの月にひとめた、年十九の孫一の目に——思ひも掛けない、とも神龕かみだなの前に、こおつた竜宮の几帳きちょうと思ふ、白気はっき一筋ひとすじ月に透いて
印度更紗 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
この座敷は板敷いたじき床畳とこだたみを用意してあり、几帳きちょう御厨子みずしなどの部屋の調度のかざりといい、壁代かべしろの絵といい、みんな時代のついた由緒ありそうな品で、とうてい身分のない人の住居ではない。
と、大人らしくからかいながら、几帳きちょうのすぐそばにすわってしまうと、女房たちは急に居ずまいを直したりした。上の兄の中将が
源氏物語:46 竹河 (新字新仮名) / 紫式部(著)
……暁まではと、几帳きちょうの蔭にすすり泣く黒髪のひとの恨みが細い灯影をいとどあわくし、義貞の膝を濡らしていた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
途中でこんな夕立に出逢って、まあ、どんな思いをしているだろうと道綱の上を気づかいながら、几帳きちょうのかげに小さくなって、私はじっと息をつめていた。
かげろうの日記 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
廻廊ごしに山の景色の見える、古びてはいるが高雅な部屋に、几帳きちょうを横にし経机きょうづくえり、短檠たんけいの光かすかな中で、飛天夜叉の桂子かつらこが、観音経を書写しょしゃしていた。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そこのところは記憶がうすれているのであるが、几帳きちょうのかげに這入って行って、膝の上に抱かれた時
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
石川河のかわらに近く庵室あんしつをしつらえさせて、昔物語の姫君のように、下げ髪に几帳きちょうを立て、そこに冥想めいそうし、読書するという富家ふうかひとは、石の上露子とも石河の夕千鳥とも名乗って
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
そこには草色のとばりをかけた几帳きちょうがあって、むすめはその陰に横になっておりましたが、枕頭まくらもとに坐っている白いうさぎのような感じのする壮い男のことが、頭に浮んだり消えたりしておりました。
宇賀長者物語 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「ですかい、」と言いつつ一目ひとめ見たのは、かしら禿かむろあらわなるものではなく、日の光す紫のかげをめたおもかげは、几帳きちょうに宿る月の影、雲のびんずらかざしの星、丹花たんかの唇、芙蓉ふようまなじり、柳の腰を草にすがって
春昼後刻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その左右へは、新しい三色緞子さんしょくどんす几帳きちょうが下っている。うしろは、金屏風きんびょうぶをたてまわしたものらしい。うす暗い中に、その歩衝ついたてと屏風との金が一重ひとえいぶしをかけたように、重々しく夕闇を破っている。
野呂松人形 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
そうではあっても、几帳きちょう垂帛たれぎぬ縫開ぬいあけから手で外へかき出した髪のあまりのみごとさにしばらく鋏の手を動かすことはできなかった。
源氏物語:55 手習 (新字新仮名) / 紫式部(著)
几帳きちょうの蔭につつましく坐り開け放された窓を通して黄昏たそがれ微芒びぼうの射し込んで来る中に頸垂うなだれているその姿は
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
耳盥みみだらいに湯をといいつける。調ととのうと、几帳きちょう壁代かべしろで注意ぶかく風ふせぎを立て、彼女は、義貞に肌をぬがせた。そして、熱いしぼりで義貞の背やわきを拭きまわった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
外出する時は輿こしに乗るか又は被衣かつぎや蟲の垂れ衣を頭からかぶり、やかたに居ては常に几帳きちょうすだれの蔭にかくれていたから、自分の顔を家中の男たちに見られる心配はなかったが
今度はあの方も遠慮なさらずにずんずん御はいりになって入らっしゃるようなので、私は困って几帳きちょうを引きよせて、その陰に身を隠しはしたけれど、もうどうにもならなかった。
かげろうの日記 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
意気地いきじと張りを命にして、張詰めた溜涙ためなみだをぼろぼろこぼすのと違って、細い、きれの長い、情のあるまなじりをうるませ、几帳きちょうのかげにしとしとと、春雨の降るように泣きぬれ、うちかこちた姿である。
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
黒羽二重の紋着もんつき萌黄もえぎはかま臘鞘ろざやの大小にて、姫川図書之助ずしょのすけ登場。唄をききつつ低徊ていかいし、天井を仰ぎ、廻廊をうかがい、やがてともしびの影をて、やや驚く。ついで几帳きちょうを認む。彼がるべきかたに几帳を立つ。
天守物語 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)