高倉たかくら)” の例文
安政あんせい年間には有名な水戸の天狗党が、諏訪の地を蹂躪した。又文久年間には、高倉たかくら三位となのる公卿が、贋勅使として入り込んで来た。
大捕物仙人壺 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
というのも、新しく即位した高倉たかくら天皇の母は平家の一族、清盛の義妹に当り、大納言時忠だいなごんときただは義兄である。
この辺から奄美大島あまみおおしまにかけて、最も特色を認められている高倉たかくらの構造なども、その外形から見て明らかにこれから進化したものと言えるが、稲真積の方は収穫の季節ごとに
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
高倉たかくらみや宣旨せんじ木曾きそきたせきひがしに普ねく渡りて、源氏興復こうふくの氣運漸く迫れる頃、入道は上下萬民の望みにそむき、愈〻都を攝津の福原にうつし、天下の亂れ、國土の騷ぎをつゆ顧みざるは
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
たとえば、第八十代の天皇高倉たかくらは、平家が入れた建礼門院徳子けんれいもんいんとくこが生んだ三歳の乳児に、その位をゆずっている。それが天皇安徳あんとくである。三歳の乳児の天皇に、統治の能力はあろうはずがない。