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馬子
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うまこ
ふりがな文庫
“
馬子
(
うまこ
)” の例文
蘇我氏は、
稲目
(
いなめ
)
、
馬子
(
うまこ
)
、
蝦夷
(
えみし
)
、
入鹿
(
いるか
)
の四代を通じ、いずれも、優れた統治者であったものと判断するのが合理的である、と私は考える。
天皇:誰が日本民族の主人であるか
(新字新仮名)
/
蜷川新
(著)
中央集権は主として
屯倉
(
みやけ
)
(直轄地)の設置によって行なわれた。大伴の
金村
(
かなむら
)
にしても、蘇我の
稲目
(
いなめ
)
や
馬子
(
うまこ
)
にしても、この屯倉の設置には熱心に努力しているのである。
日本精神史研究
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
蘇我
(
そが
)
・
物部
(
もののべ
)
両族の争いにとどまらず、
穴穂部皇子
(
あなほべのおうじ
)
や
宅部皇子
(
やかべのおうじ
)
の悲しむべき最期があり、物部氏の滅亡についで、
遂
(
つい
)
には
崇峻
(
すしゅん
)
天皇に対する
馬子
(
うまこ
)
等の大逆すら起っている。
大和古寺風物誌
(新字新仮名)
/
亀井勝一郎
(著)
馬子
(
うまこ
)
は、太子の御英明の前に、雌伏してゐる外なかつたが、太子薨去後、その野心を現はし、不臣の振舞多く、その子
蝦夷
(
えみし
)
、孫
入鹿
(
いるか
)
に至つては、馬子以上に専横を極め
二千六百年史抄
(新字旧仮名)
/
菊池寛
(著)
さて、蘇我氏の権力は、
馬子
(
うまこ
)
、
蝦夷
(
えみし
)
、
入鹿
(
いるか
)
と、三代にわたって続いたが、とくに馬子は、ひじょうに人望のあった人である。
天皇:誰が日本民族の主人であるか
(新字新仮名)
/
蜷川新
(著)
▼ もっと見る
太子は何故これに徹底的な抑圧を加えなかったか、
馬子
(
うまこ
)
の
兇暴
(
きょうぼう
)
を何故黙視しておられたか——後世史家の
屡々
(
しばしば
)
問題としたところであるが、太子の憂悩もまたそこにあったと拝察される。
大和古寺風物誌
(新字新仮名)
/
亀井勝一郎
(著)
馬子
(
うまこ
)
は、諸皇子群臣に勧めて、守屋を滅さんことを謀る(紀)。厩戸皇子は、
白膠木
(
ぬるで
)
を切り取り、四天王像を作り、誓文を発す(紀)。馬子も又誓言を
天皇:誰が日本民族の主人であるか
(新字新仮名)
/
蜷川新
(著)
尤
(
もっと
)
も崇仏と政治謀略は別であったことは、
馬子
(
うまこ
)
以来の伝統かもしれない。
大和古寺風物誌
(新字新仮名)
/
亀井勝一郎
(著)
“馬子(駄賃馬稼)”の解説
駄賃馬稼(だちんうまかせぎ)とは、近代以前の日本において馬の背中に貨物や人を乗せて輸送に従事する職業のこと。この職業に従事する人を馬借(ばしゃく)あるいは馬子(まご)、使用された馬を駄馬(だば)あるいは稼馬(かせぎうま)・荷馬(にうま)、輸送料金を駄賃(だちん)と称した。
(出典:Wikipedia)
馬
常用漢字
小2
部首:⾺
10画
子
常用漢字
小1
部首:⼦
3画
“馬子”で始まる語句
馬子唄
馬子供
馬子才
馬子歌
馬子足
馬子半天
馬子寄場
馬子草鞋