隠岐守おきのかみ)” の例文
「同じ年十二月、岩沼(田村右京)さまの御子息、修理しゅり宗永さまが右京太夫に任ぜられ、右京さまは隠岐守おきのかみとなられた」
まして名生の城は木村の家来の川村隠岐守おきのかみが守って居たのを旧柳沢の城主柳沢隆綱が攻取って拠って居たのである。それだけの事実が氏郷の耳に入らぬ訳はない。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
きのうは因州の分家にあたる松平隠岐守おきのかみの女中方が通り、きょうは岩村の簾中方が子供衆まで連れての通行があると聞くと、そのたびにふるい友だちを誘いに来た。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
一益は驚いて、調べさせていると、飯尾隠岐守おきのかみと下方左近将監しょうげんのふたりが、陣地から伝令をよこして
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それをよそにして、矢の倉の河岸かし、本多隠岐守おきのかみの中屋敷の塀の外に立っているのは、例の頭巾を被った机竜之助であります。机竜之助は竹の杖をついてその塀の下に立っていました。
大菩薩峠:17 黒業白業の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
目下は松山藩松平隠岐守おきのかみの屋敷に預けられて評定所の糺問きゅうもんを受けているのだった。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
十五万石久松隠岐守おきのかみ。一万石一柳銓之丞せんのじょう。——播州小野の城主である。六万石石川主殿頭。四万八千石青山大膳亮だいぜんのすけ。一万二十一石遠山美濃守。十万石松平大蔵大輔。三万石大久保佐渡守。
大鵬のゆくえ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
弘庵ははじめ松平隠岐守おきのかみの儒臣長野豊山ながのほうざんについて学び、後に古賀侗庵の門に入った。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
一ノ関に対する悪評が高まったのも原因の一つであろうが、隠岐守おきのかみ(前の右京)に対しても、一ノ関で毒害の陰謀がある、という密告がしきりで、そのために面会を避けているのだと伝えられている。
「われわれは松平隠岐守おきのかみの家臣だ、助勢するぞ」