辰刻いつゝ)” の例文
翌る日平次が谷中の清養寺へ行つたのは、まだ辰刻いつゝ少し過ぎ、お類が朝の膳を片附けて、寺男の彌十は庭の草をむしり始めた時分でした。
きくに兩國也と云によりくう腹なれば食事をなし辰刻いつゝ時分じぶんになり彼の駕籠舁かごかきの入し路次のある町へ到り所の名をきくに福井町なりと云にぞ豫て見置みおきたる權三助十が長屋ながやへ入り一通長屋を見廻みまはすに四ツ手駕籠でかご
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
翌日の朝の辰刻いつゝ(八時)少し前、薄赤い陽が射し込んで、明神樣の森からをあさりに來る、小鳥の聲などが賑やかに聽えて居ります。
船の支度が出來て、兩國の下にもやつたのは辰刻いつゝ(八時)少し過ぎ、結構な短册に下手つ糞な歌などを書いて居ると、お料理やお燗の世話を
明神樣の下で名物の煎餅せんべいを買つて、それをお靜が小風呂敷に包んでくれたのを土産みやげに、平次が向柳原に向つたのは、もう辰刻いつゝ近い頃でした。
丁度辰刻いつゝを打つたばかり、お早う——とも言はず飛込んだ、乾分のガラツ八の顏は、それにしては少しあわてゝ居ります。
翌る日の朝——と言つても辰刻いつゝ(八時)過ぎ、八五郎は氣の拔けたやうな顏をして、明神下の平次の家へやつて來ました。
木場の大旦那で、萬兩分限ぶげんの甲州屋萬兵衞は、今朝、卯刻半むつはんから辰刻いつゝまでの間に、風呂場の中で殺されて居たのです。
一方は錢形平次と八五郎、赤羽橋有馬屋敷の角、お堀端の葭簾張よしずばりの中に、辰刻いつゝ(八時)過ぎから眼を光らせました。
辰刻いつゝ(八時)過ぎになつても起きて來なかつたので、氣に入りの下女のお仲が二度も三度も廊下から呼んで見ましたが、何んの返事もないばかりでなく
銭形平次捕物控:130 仏敵 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
「聽いたよ。今鳴つたのは、上野の辰刻いつゝ(八時)だ。どんなに腹が減つてゐても、まだ晝飯は早え」
「坂の上から見ると、この家の前の路地はよく見える筈だ。——三郎兵衞が殺されたのは、辰刻いつゝ半(九時)過ぎだらうと思ふが、その頃出入りする者はなかつたのか」
「主人が御自分でなさいます。今朝辰刻いつゝ(八時)過ぎになつても戸があかないので、番頭さんと小僧と二人がかりで雨戸を押し倒して入ると、あの始末で御座いました」
よし/\、それで大分判つたやうだ。ところで、八。横山町の町役人に會つて、明日の辰刻いつゝ前、磯屋の主人貫兵衞が、御手當になる筈だ、萬事拔かりのないやうに仕度を
辰刻いつゝ(八時)過ぎになると、江戸の下町ではもう、羽子の遠音も、紙鳶たこの唸りも聞えます。
明日、早立ちで、辰刻いつゝか——遲くも巳刻よつには此御屋敷へ御還りにならう。御留守を預つた石田清左衞門は、御墨附と短刀が紛失しましたとは申上げられない、腹を切る氣になつたのは其爲だ
「三次、もう辰刻いつゝだぜ、起きろ、——錢形の親分が、手前に逢ひてえとよ」
「八が來たのか。大層な勢ひぢやないか、まだ辰刻いつゝ(八時)前だぜ」
「ちよいと、起きて下さいな。私が來て上げたのに、寢て居るつて法はないワ。鼻から提灯なんか出してさ、狸ならもう少し綺麗事にするものよ、——もう辰刻いつゝぎぢやないの、ちよいと八さんてば」
「今朝でしたよ、辰刻いつゝ(八時)頃でせうか——」