輝政てるまさ)” の例文
陣の主将を示す、旗、馬じるしなどを望めば、それは勝入の長男紀伊守之助と、次男輝政てるまさのいることを宣明している。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長男と二男と、そして立花(左近将監)忠茂に嫁したなべ姫の三人が正夫人ふり姫から生れた。ふり姫は池田輝政てるまさむすめで、徳川秀忠の養女として忠宗に嫁したのであった。
城主の勝入をはじめ、嫡男ちゃくなん紀伊守きいのかみむこ森武蔵守もりむさしのかみまで、一時に三名の柱が、長久手に戦死して、のこるは、若い三左衛門輝政てるまさと、まだ十五歳の長吉ながよしだけとなった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
嫡男、紀伊守之助ゆきすけは二十六、岐阜の城主である。次男三左衛門輝政てるまさは、年二十一、安八あはち郡池尻の城主。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
勝入は、二男の三左衛門輝政てるまさをよんで、於通を、べつな部屋へ案内してやれと、いいつけた。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
城主の池田輝政てるまさは、背がみじかくて、うす黒いあばたがあり、頭はっている。
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「秀次。おもとはな、兵をまとめて、明日から大垣の留守番にゆけ。大垣の家中は傷手いたでも多く、残った老母や女房どものほか、三左衛門輝政てるまさと、末子ばっし長吉ながよしだけでは、守備もさびしかろうほどに」
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
慶長六年 池田勝入斎しょうにゅうさい輝政てるまさ 家中かちゅう
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)