賀筵がえん)” の例文
文化五戊辰ぼしんの年三月三日、南畝はここに六秩ろくちつ賀筵がえんを設けたる事その随筆『一話一言』に見ゆ。大窪詩仏おおくぼしぶつが『詩聖堂詩集』巻の十に「雪後鶯谷小集得庚韻せつごうぐいすだににすこしくあつまりてこういんをえたり
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
われ/\は拾遺集しゅういしゅう巻五賀の部所載源公忠の、「萬代よろづよもなほこそあかね」の歌の詞書に依って、権中納言敦忠が母のために賀筵がえんを設けたことがあるのを知り
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
天下の富豪大倉喜八郎氏が百何十万円とかを投じて賀筵がえんを張る。そのために支那から俳優を招くという事が一般に伝わると、真剣な意味で非常な輿論よろん捲起まきおこした。