範国のりくに)” の例文
「ぜひもない」と、尊氏はだまって、祐筆ゆうひつに両者へ与える軍忠状を書かせ、今川範国のりくに袖判そではんさせて「さらにはげめ」と、ふたりへさずけた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あくる朝、ここを立つさい、彼は篠村八幡宮へ佐伯さえきしょうの一部を寄進して、所願成就しょがんじょうじゅの祈りをこめた。そのとき今川範国のりくに
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、今川範国のりくにのいさめに思いとまって、苦闘に苦闘をつづけ、やっと川を渡りえたとつたえられている。だがこの段はさて、どんなものだろうか。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、範国のりくには、小首をひねったが、わすれました、どうしても思い出せません、と言ってあやまった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この論告はかえって尊氏の窮地をまざと響かせたものとみえ、逆に、直義の方へはしる者が多かった。斯波しば高経、今川範国のりくに、二階堂時綱、小笠原政長、上杉朝定ともさだ、同朝房。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尊氏の陣営内へ入って行った直義ただよしや今川範国のりくには、いつまでもその幕舎から姿をみせず、やがて、外に現われた直義は、何か、兄とまた激論でも交わしたらしく憤然と唇をかんでいた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)