箕作阮甫みつくりげんぽ)” の例文
拙堂は八月十日(一説ニ十五日)水戸藩の会沢正志あいざわせいし、若松藩の黒河内十太夫、津山藩の箕作阮甫みつくりげんぽ、高崎藩の市川達斎らと共に将軍家定に謁見した。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
箕作阮甫みつくりげんぽ先生の養嗣子省吾氏は、弱冠の頃、すでに蘭語学に精通しておったが、就中なかんずく地理学を好んで、諸国を歴遊し、山河を跋渉ばっしょうして楽しみとしておった。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
下曽根金三郎しもそねきんざぶろう江川太郎左衛門えがわたろうざえもんには西洋の砲術を訓練させる。箕作阮甫みつくりげんぽ杉田玄端すぎたげんたんには蕃書取調所ばんしょとりしらべしょの教育を任せる。そういうたぐいのことはほとんど数えきれない。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
左様——蘭学で箕作阮甫みつくりげんぽ佐久間象山さくまぞうざんなどというところが大家だったね、それから黒田の永井青崖ながいせいがいというのがなかなか出来た、大阪には緒方洪庵おがたこうあんという先生がいたが、それらはみんな蘭学が主で
楓江は早くより蝦夷えぞ開拓の志をいだき兵法を清水赤城しみずせきじょうに、蘭学を箕作阮甫みつくりげんぽについて学び、天保十二年の夏江戸を去って松前に赴いた。枕山湖山らの集にはいずれも楓江に寄せた詩が載っている。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それにもまして彼の注意をひいたのは、幕府で設けた蕃書調所ばんしょしらべしょなぞのすでに開かれていると聞くことだった。箕作阮甫みつくりげんぽ杉田成卿すぎたせいけいなぞのらん学者を中心に、諸人所蔵の蕃書の翻訳がそこで始まっていた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)