“みつくりげんぽ”の漢字の書き方と例文
語句割合
箕作阮甫100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
左様——蘭学で箕作阮甫みつくりげんぽ佐久間象山さくまぞうざんなどというところが大家だったね、それから黒田の永井青崖ながいせいがいというのがなかなか出来た、大阪には緒方洪庵おがたこうあんという先生がいたが、それらはみんな蘭学が主で
楓江は早くより蝦夷えぞ開拓の志をいだき兵法を清水赤城しみずせきじょうに、蘭学を箕作阮甫みつくりげんぽについて学び、天保十二年の夏江戸を去って松前に赴いた。枕山湖山らの集にはいずれも楓江に寄せた詩が載っている。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それにもまして彼の注意をひいたのは、幕府で設けた蕃書調所ばんしょしらべしょなぞのすでに開かれていると聞くことだった。箕作阮甫みつくりげんぽ杉田成卿すぎたせいけいなぞのらん学者を中心に、諸人所蔵の蕃書の翻訳がそこで始まっていた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)