禧子よしこ)” の例文
あとでの取り沙汰では、皇后の禧子よしこは、野の宮殿のお妹のところへ難を避け、三位ノ局廉子も、小女房の中にまぎれて、はや、ここはのがれ出ていた。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宮中には服喪ふくもノ令が出て、一切の慎みが守られ、市中にも数日の鳴物停止ちょうじが令せられた。——ご病中だった皇后の禧子よしこがおなくなりになったからである。
その琵琶は、帝が六波羅におわしたころ、中宮ちゅうぐう(皇后の禧子よしこ)からお獄舎ひとやのうちに献じた物である。遠く、中宮へお別れを告げるお心もあったであろうか。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここには中宮ちゅうぐう(皇后の禧子よしこ)もおり、余の女房の小宰相こさいしょうや大納言ノ局もおる。水仕みずしの末の女童めのわらわまで、そもじを見失うたら途方にくれてまどい泣こう。よも六波羅とて、女は追うまい。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いまは、みまかられたが、後醍醐の皇后ノ宮、西園寺禧子よしこも、この一門の出であった。
中宮の禧子よしこ(後醍醐の正后)の君で、前の御簾みすも、まざまざ、捲きかかげられてある。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
皇后おおきさき禧子よしこをはじめ、後宮の妃から宮々の姫ぎみも供奉ぐぶし、公卿大臣おとどといえば、この日のお供に洩れるなどは、千載せんざいの恥かのように思って、終日の花の宴に、あらゆる余興やびの百態を
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
皇太子の姫盗みに会われた西園寺家の末むすめは、禧子よしこというお名であった。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
都には皇后の禧子よしこがある。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)