福地桜痴ふくちおうち)” の例文
それに対して、歌舞伎座では福地桜痴ふくちおうち居士作の「艦隊誉夜襲かんたいほまれのよいくさ」を上演し、明治座では松居松葉君作の「敵国降伏」を上演した。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
が、実はホンの手解てほどきしか稽古しなかった。その頃福地桜痴ふくちおうちが琵琶では鼻を高くし、桜痴の琵琶には悩まされながらも感服するものが多かった。
『毎日』は島田三郎さんが主筆で、『東京日々にちにち新聞』の福地桜痴ふくちおうちと論争していたので、保は島田を助けて戦った。主なる論題は主権論、普通選挙論等であった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
公園事務所長は初代が福地桜痴ふくちおうち居士こじ、二代目が若い方の金兵衛さんだときいた。
依田学海よだがっかい福地桜痴ふくちおうち森田思軒もりたしけん石橋忍月いしばしにんげつ岡野紫水おかのしすい坪内逍遥ら諸氏の名を回想するにつけても演劇改革の事業は今日こんにち後進の吾人ごじんに取りては既に演劇そのものと相並びて歴史的興味を覚えしむる処すくなしとせず。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
竹柴其水たけしばきすいは明治座の立作者として、専ら左団次一座のために新作の筆を執っていた。福地桜痴ふくちおうち居士は歌舞伎座にあって、これは専ら団十郎のために書いていた。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
福地桜痴ふくちおうち末松謙澄すえまつけんちょうなどという人も創業時代の開拓者であるが、これらは鍬を入れてホジクリ返しただけで、真に力作して人跡未踏の処女地を立派な沃野長田たらしめたのは坪内君である。
四座連盟はもろくも切り崩されたのである。新開場の狂言は黙阿弥もくあみ作の「黄門記童幼講釈こうもんきおさなこうしゃく」を福地桜痴ふくちおうち居士が補綴ほていした物で、名題は「俗説美談黄門記」とえられた。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
私はそれを榎本君に話すと、榎本君は笑いながら「それだから僕は観に行かないよ」と云った。榎本君は福地桜痴ふくちおうち先生に従って、楽屋の空気にもう馴れている人である。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)