“竹柴其水”の読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
たけしばきすい | 100.0% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
“竹柴其水”の解説
竹柴其水(たけしば きすい、弘化4年(1847年)- 大正12年(1923年)2月7日)は、歌舞伎作者。本名は岡田 進蔵(おかだ しんぞう)。
江戸に大工の子として生まれ、幼名を駒沢鏡之助といったが、のち京橋の材木商・岡田某の養子となる。
十二代目守田勘彌宅に寄宿し、三代目桜田治助の門人となって熨斗進蔵(のし しんぞう)を名乗り、守田座のために作品を書いた。のち二代目河竹新七(黙阿弥)に入門し、明治6年(1873年)竹柴進三(たけしば しんぞう)と改名。明治17年(1884年)には新富座の立作者となり、同20年に黙阿弥の俳名を与えられて竹柴其水を名乗る。その後明治座の立作者となり、主に初代市川左團次のために作品を書いた。代表作に『神明恵和合取組』(め組の喧嘩)、『那智滝祈誓文覚」などがある。
(出典:Wikipedia)
江戸に大工の子として生まれ、幼名を駒沢鏡之助といったが、のち京橋の材木商・岡田某の養子となる。
十二代目守田勘彌宅に寄宿し、三代目桜田治助の門人となって熨斗進蔵(のし しんぞう)を名乗り、守田座のために作品を書いた。のち二代目河竹新七(黙阿弥)に入門し、明治6年(1873年)竹柴進三(たけしば しんぞう)と改名。明治17年(1884年)には新富座の立作者となり、同20年に黙阿弥の俳名を与えられて竹柴其水を名乗る。その後明治座の立作者となり、主に初代市川左團次のために作品を書いた。代表作に『神明恵和合取組』(め組の喧嘩)、『那智滝祈誓文覚」などがある。
(出典:Wikipedia)