田部たなべ)” の例文
次手ついでに岳北の四湖を眺め、青木ヶ原の一端をものぞいて見ようというので、四月八日の午後十一時に田部たなべ君と共に東京駅を出発した。
春の大方山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
追分の宿に帰ったら、思いがけず田部たなべ重治さんが来ていられた。越後えちごの湯沢とかへ兼常かねつねさんやなんかとスキイに行かれたお帰りだとか。皆と高崎で別れて、お一人だけわざわざこちらに寄られた由。
雉子日記 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
友人の田部たなべ君やその他の多くの人人のように、登山の意義とか、山は如何に自分を影響しつつあるか、或はあったか、というような哲学的見地とでもいいますか
登山談義 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
そうしたかんがえで私は友人田部たなべ、森の二君とともに三人の人夫を伴い、越中小川の谷から黒薙くろなぎ川の北又に入り、支流恵振いぶり谷を遡って、白馬岳の北にお八千尺近い高度を保ちながら
北岳と朝日岳 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
想えば私の登山慾は、明治三十八、九年をさかいとしてやや間歇的になった。それが二、三年の後田部たなべ君と識るようになって、またぶり返した形である。同君は初め海の讃美者であった。
秩父のおもいで (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
自分は石榴の花をぼんやり見詰めながらそんなことを考えていた。そこへ折よくも訪れて来たのは田部たなべ君である。同君も矢張やはり五月の秩父の旅で受けた深い印象を忘れ兼ねたのであろう。
釜沢行 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
それは田部たなべ君も言ったけれども、われわれはどうも昔のことをひどくいいように覚えているのです。木なんかでも実際はそれ程でもなかったろうと思うが非常に大きかったように覚えている。
木曾御岳の話 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)