甘粛かんしゅく)” の例文
『大清一統志』一八一に甘粛かんしゅくの馬踪嶺はけわしくて道通ぜなんだが、馬をこの山に失いあとを追うてたちまち婺州むしゅうに達してより道が開けたとづ。
ことこのとしはタメルラン大兵を起して、道を別失八里ベシバリ(Bisbalik)に取り、甘粛かんしゅくよりして乱入せんとするの事あり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
と、帷幕いばくへよびつけ、汝は一軍を引率して、剣閣けんかく陝西せんせい甘粛かんしゅくの省界)の道なき山に道を作れと命じ、悲調な語気で
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
成吉思汗ジンギスカンが、甘粛かんしゅく省のトルメカイで死んだというのみで、その後彼の墓がいずこか分らないのも、おそらく此処ここへ運ばれたのではないかといっている。
人外魔境:03 天母峰 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
潼関から上流の三千余キロというものは、河南、山西、陝西せんせい甘粛かんしゅくの黄土層を流れてくる。
このこと明史みんしには其の外国伝に、朝廷、帖木児チモルの道を別失八里ベシバリに仮りて兵を率いて東するを聞き、甘粛かんしゅく総兵官そうへいかん宋晟そうせいに勅して儆備けいびせしむ、とあるに過ぎず。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)