清見きよみ)” の例文
こうして都を立ってからほぼ一カ月がすぎて、十月十六日に駿河国清見きよみせきに着いたが、遠征の途中の国々で兵を集めたので、清見ヶ関では七万余騎を数えた。
両親ふたおやがついて、かねてこれがために、清水みなとに、三保に近く、田子の浦、久能山、江尻はもとより、興津おきつ清見きよみ寺などへ、ぶらりと散歩が出来ようという地を選んだ、宏大な別荘のもうけが有って
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それがし祖父そふ興津右兵衛景通おきつうひょうえかげみちもうしそろ永正えいしょう十一(十七)年駿河国するがのくに興津おきつに生れ、今川治部大輔いまがわじぶたいふ殿に仕え、同国清見きよみせきに住居いたし候。永禄えいろく三年五月二十日今川殿陣亡じんぼう遊ばされそろ時、景通かげみち御供おともいたし候。
興津弥五右衛門の遺書 (新字新仮名) / 森鴎外(著)